柱跡
投稿者:匿さん (1)
あまりのことに驚いた土地の管理者が、県内屈指の名刹から坊さんを呼んで視てもらった(累が自分に及ぶのを恐れたんだろう)ところ、
「これはウチ(仏教)の仕事じゃなかよ、神道に頼りなさい」という。
そこで神主を呼んだところ、目を白黒させて、
「これは出雲さんにも応援を頼まねば手に負えない」
とて近県の出雲大社の神官を急遽呼ぶことになった。
結局、総勢10名の神官で儀式をしたらしい。
別荘の周りを10の結び目のある葛縄で四方から囲って、紙垂を垂らし結界とし、その周囲を10人の神官で囲んで祝詞を唱えたらしい。
ま、これで人死には止まったそうだから、一件落着!なんだろうけどね。
え?今どうなってるかって?建物は慎重に解体されて、更地に戻ったそうだよ。とはいえ、今でも注連縄が貼られて、定期的に神官が出向しているらしいけどね。
…なんだかモヤモヤした顔してるね。
…俺もこの話を聞いたとき、なんていうか説明が足らなくてモヤモヤしたんだよ。
でもさ…大学に入って古代史を勉強するうちに、何かいろいろわかってきてしまった気がするんだよね。
…これはさ、れっきとした神罰というか、祟りの話だよ。
坊さんが「これはウチの仕事じゃない、神社の仕事だ」と言ったり、神官の儀式で怪事が収まったりしてるからそりゃそうなんだろうけどさ、他にも歴史学的見地からいろいろ思うところがあんのよ。
Sくんさ、『古事記』では神様を何て数えると思う?
…「ひとはしら、ふたはしら…」と数えるんだよ。
もしかして、神様の姿ってのは本当に円柱状なんじゃないのかなあ。
だって、円には始まりも終わりもないだろ?
始まりも終わりもないってことは「永続する」ということだ。
いわば「永遠の存在」。完成された美。
遺跡から見つかった巨大な柱跡。
きっとあれは柱跡なんかじゃない。
あそこにかつて神様がいたんだよ。降りたんだよ。
その跡に恐れ多くも人間が穢れを持ち込んでしまった。
そういうことだったんじゃないのかなあ。
さらに儀式に頻出した10という数字。
10人の神官、10の結び目…これさ、『延喜式』にある鎮魂の儀式とそっくりだぜ?
『延喜式』ってのは平安中期に創られた律令の施行細則だけどさ、その中の儀式の中に「鎮魂祭」ってのがあるんだ。文字通り荒ぶる魂をなぐさめる儀式だけどさ、その中でも「10の結び目」が登場する。これは『先代旧事本紀』にある神武天皇が東征の折に倒した宇摩志麻治から受け取った饒速日命由来の10種の神宝に由来するんだけどさ…その「鎮魂祭」が通用する神ってことはあの神は神代に遡る相当古い神だぜ?
人型を為すまえの太古の神のすがた…。
興味深い話しでした。