M子と安村似の話

次第にクラスどころか学年でも孤立してきたM子は、毎日を誰とも口を聞かずに授業を受けて帰るだけだったと語ります。

そんな中、唯一話しかけてくれるA子がいましたが、A子はその度に「安村くんに謝りなよ。きっと許してくれるよ」と見当外れなことばかり言うので、M子の中ではA子は安村と繋がっている図式が完成しました。

そんな苦境に立たされたM子の状況を一転させたのが、大好きな祖父の死でした。
94歳で大往生でした。
さすがに実の親が死ねば両親も仕事を切り上げて戻ってきました。
あっという間に葬儀が行われましたが、参列者は生前祖父と懇意にしていた人を除きほとんど来てくれなかったそうです。
ただし、一番来てほしくなかった安村の親は来たそうで、その際にはどうしてか両親が安村の親にペコペコと頭を下げていました。
遠くからでもM子の婚約の話をしているのだと分かりましたが、M子は祖父との別れを偲ぶのに最低の気分になりたくなくてスッとその場を離れました。

祖父の葬儀後、M子は祖父のいない居間で両親と話し合うことになりました。
議題はもちろん婚約の件です。

両親の主張は「せっかく○○さん(地主の名字)が選んでくださったのに！」や「こんな縁談二度とないぞ！」といった、まるで宗教にはまった人の妄言ばかりでした。
M子は「わたしの結婚相手を勝手に決めるな！」と一蹴したそうですが、両親は都会に戻る当日の朝までぐちぐちと文句を言ってきました。

そして、M子を襲った人生最大の悪夢は高校二年の冬明けのことでした。

ある日の学校帰り、M子は雑木林付近を歩いていると不意に腕を引っ張られて納屋のような小屋のような人気のない建物の中に連れ込まれたのです。
驚いて顔を上げればその犯人の正体は安村で、取り巻きらしき学生が小屋の外からドアを閉め、埃の溜まった室内でＭ子は安村と二人っきりにされました。
安村はＭ子の両腕を力いっぱい掴んだまま体重をかけ、床に押し倒してきます。
さすがのＭ子もこの状況はドラマなんかでのお決まりの展開だと悟るや否や「やめて！」と叫んだそうですが、その瞬間、『バチン！』と頬を叩かれて「うるせえ！」と怒鳴られ、一瞬何が起きたのか分からず当惑したと言います。

そんな頭が回らない状況で安村はいったん手を放して「どうせ結婚すんだから別にいいだろ」と自分のズボンのベルトをカチャカチャと外そうとしているのを見て、Ｍ子は全力で安村の股間を蹴りつけてやりました。

すると安村は悶絶するように股間を抑えて蹲り、声にならない声を呻き声のように漏らしたまま動かなくなりました。

Ｍ子はこれはチャンスだと思い、さらに一発後ろから尻を蹴り上げてやった後、思い切り助走をつけて小屋のドアにタックルをかまします。

ドアは勢いよく開かれたのか、体当たりした瞬間にドアが開く際、何か障害物を吹き飛ばした感覚が伝わったかと思えば、前のめりに転倒して痛そうに顔を抑える安村の取り巻きを見て、「ああ、ドアの前にこいつがいたのか」と納得しつつその場から逃げたそうです。

Ｍ子は祖父の自宅に逃げ帰りましたが、このままでは安村に復讐されると思い、その足で最低限の荷物と財布を持って家を飛び出しました。

この町のバスは大体一時間に一本あればマシなていどですが、幸い時刻表を見れば数分後にバスが来ることが分かって安村達の追手を危惧しながらもなるべく周囲から自分だと分からないように停留所の建物の影に身を潜めるようにしていました。

数分後、時間より少し早くバスが来たので安堵したＭ子は、バスに乗り込むとすぐに降りられるように前の方の座席に座り、外から見られないように少し屈んだ体勢を維持します。

しかし、安心していたのも束の間、バスが発進した直後、「Ｍ子ーーーーーーっ！」と言う叫び声が聞こえました。

恐る恐る窓からほんの少しだけ覗いてみれば、数人の男子生徒がＭ子の名前を叫びながらうろついているのが見え、心臓がバクバクと跳ね上がりました。

もしかしてこのバスも止められるのでは？
そもそもこのバスの運転手も安村の父親の関係者で、私の身元が知れると安村のとことに連れていかれるのでは？

そんな恐怖が車中の座席に蹲るＭ子を襲い、一秒でも早くバスがこの町を抜け出る事を願っていましたが、不意に運転手が「〇〇んに言い寄られとるんは、あんたかに？」と声を掛けられてシンと静まり返った。

バレた。この運転手は私の事を知っている。
Ｍ子はそう思って息をするのが苦しくなった。