お多福女
投稿者:ねこじろう (147)
紺のフリースにジーパン姿の長身の男が「こんにちは、僕たち、先週からこの階に引っ越してきた新婚ほやほやの二人です。よろしくお願いします。」と言って白い歯を見せる。
すると茶髪でショートカットの小柄で可愛らしい女の子が「あの、これ、つまらないものですが」とたどたどしい口調で、きちんと包装された箱を手渡そうとする。
恐縮しながら受けとると、二人はぎこちなく一礼して立ち去った。
─私にも、あんな頃があったのよね、、、
私はテーブルで頬杖をつき、目の前に置かれた白い箱を眺めながら若かった頃のことを思い出し一人ほくそえんでいた。
その日もありきたりの日常が淡々と過ぎて、いつものスーパーで買い物を済まして、夕刻マンションのエントランスに向かおうとした時だった。
マンション入口前に救急車が停まっており、辺りにはちょっとした人だかりが出来ている。
そこにいた知り合いの住人に聞くと、男女が二人担架で運ばれたらしい。
─嫌だなあ、
また事故か何かかな?
気になりながらも夕飯の準備のために、部屋に戻った。
翌日同じ階の住人に聞いたところによると、驚いたことに運ばれたのは、あの新婚の二人ということだった。
詳しくは昨日の午後、うちの一個下の階の女性がベランダで洗濯物を取り込んでいる時、ふと上方に視線を移すと、人の足先があるのが見えたそうだ。
不審に思い、手すりから乗りだし上方を仰ぎ見て仰天したらしい。
青空の下男女が二人並び、ゆらりゆらりと揺れていたそうだ。
しかも二人とも満面の笑みを浮かべていたということだった。
警察の話では二人はベランダの手すりにロープを結び、首を吊っていたということだ。
─ということは朝方私のところに挨拶に来た後、数時間後には首を吊ったということになる。
それにしても一体なぜ、あの幸せそうな二人が?
その時、私はふと息子が言っていた「お多福女」のことを思い出し、それとなくもう一度息子に聞いてみた。
「あんまりはっきりとは覚えてないんだけど確か、人が一度に受け取れる幸福の量というのは決まってるらしくて、それを越えて幸せになってしまうと『お多福女』が突然現れるみたいで、そいつを見てしまうと猛烈に死にたくなるんだって」
息子はそう言うと自室に入って行った。
そしていよいよ公立高校入試合格発表の日。
幸運なことに、息子は合格だった
その日の夜、我が家の食卓テーブルには、ケーキと息子の大好物のハンバーグが並べられた。
おめでとうと三人で乾杯をして、しばらく経った時だ。
主人が照れ臭そうにしながら「おい、これ」と言って私に小さな箱を渡す。
開けてみると中には小さな指輪が入っていた。
「結婚して今年で20年。いろいろあったが、お前には本当に感謝してるよ」
そう言って主人は珍しく赤面して、うつむいた。
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