A子の家
投稿者:J2 (8)
その後すぐ卒業を迎え、私は社会人になりました。
新しい仕事を一生懸命覚えながら自動車免許を取り、毎日あわただしくも充実した日々を送っていました。
車の運転にも慣れてきた社会人3年目の春、久々にA子の自宅までドライブに行こうと思いました。
昔歩いた道をたどってカーナビに案内させ、A子をサプライズで驚かそうと思った私は早朝に家を飛び出しました。
私が住んでいる地域から車で約2時間。
着いたのは「○×公園」という、あの草木の生い茂った公園だけ。
どこをどう探しても高層マンションのような市営団地はありません。
気づけば時刻だけ過ぎていき、近くのコンビニで買ったパンを食べながら探しました。
17時になり、夕暮れになった頃、公園にいたお爺さんに市営団地がないか尋ねました。
「市営団地?」と分からない顔をしているお爺さんに「11階建てで高層マンションのような。」と言いましたが、余計に分からない顔をされました。
「この辺はもう20年以上前にあった大震災で全部倒壊したんだ。確か、その震災前には団地があったと思うよ。
だけど震災があってからはこの辺は一軒家ばかりになっちゃって、後はそこに大きな工場ができただけ。」
お爺さんの指さす方には大きな製鉄工場があり、それは確かにA子の住んでいた団地と同じ位置に建っていました。
「嘘。」と呆然としている私にお爺さんが一言。
「あんたが高校生の時にはその工場あったよ、だって建てられたのは15年前だから。」
呆然としながらお爺さんに礼を言い、そのまま帰宅しました。
帰宅後、唯一知っていたA子の携帯番号に電話をしましたが、「お繋ぎできません。」のガイダンス。
私は高校卒業前のあの日、一体どこの何の建物に行っていたんだと急に怖くなりました。
A子の住んでいたであろう場所周辺の情報を改めて調べました。
確かに私が生まれる少し前に大震災があり、その周辺は見るも無残な状態に倒壊していました。
その後復興がなされ、公園や一軒家、小さな商店、そして大規模な製鉄工場が建てられた様子です。
地図で探してもどこにも「市営団地」というものはなく、マンションらしき建物すら周辺にはありません。
A子が出身校だと話していた小学校、中学校は確かにその近くに存在していました。
また、「ここよく行くんだ!」とA子が楽しそうに話していた小さな商店も現存しています。
A子とは連絡も繋がらず、そして家もまったく見つからない。
A子が就職したという職場も現在廃業になったと知り、その後の彼女の行方は一切分かりません。
同じ高校で、家が近くの友人と偶然スーパーで再会したことがありました。
高校の頃の思い出話として、A子とその友達を含め、4人でカラオケに行った話をしました。
友達が「またあのメンバーでカラオケ行きたいね!そういえばA子は元気?」と私に聞いてきた時、返事に大変困りました。
「最近連絡取ってなくて知らないんだ。」と言うと、「なんで?あんなに仲良かったのに。」と言われました。
素晴らしい❗
製鉄所が山の中に有ることは滅多にないけど、
震災は阪神淡路大震災のことだろうし
神○製鋼系の工場のことかな?
(´・ω・`)・ω・`) キャー
/ つ⊂ \ コワーイ
面白かった