忌み井戸を祀るなかれ
投稿者:懐炉 (9)
引きずり込まれる!すごい力で指が食い込んできます。口に大量の水が流れ込んで苦しいです。
ばたばたともがく私の下半身にしがみ付いているのは、おぞましい異形の存在でした。全身を鱗に覆われた全裸の男です。
「うわあああああ!」
さらに私をうちのめしたのは、井戸の底に夥しく積もった動物の骨でした。犬や猫はもちろん、よくわからない動物の骨まであります。
「は、離せ、お願い帰してごめんなさい!」
男の額はぱっくり割れて血が滴っています。私が投げた石があたったのです。ああ、復讐されると目を瞑り観念しました。ここで死んだら誰が死体を見付けてくれるのでしょうか、古井戸の底で骨になるまで忘れ去られるのでしょうか。
泣きじゃくって暴れまくり、数珠を巻いた手で振り払った拍子に男がとびのきました。
今がチャンスだ!石組みの壁に組み付いて攀じ登ります。井戸の底ではばしゃばしゃとバケモノが暴れています。めちゃくちゃに振り回した手が足元を掠め、全く生きた心地がしません。
死に物狂いでよじのぼり地上に帰還した時には、口も利けないほど消耗しきっていました。
再び井戸を覗き込む過ちは犯さず、すぐさま家に飛んで帰りました。
ずぶぬれで帰宅した孫に祖父は驚き、両親には大変叱られました。
私がしどろもどろ空き家の体験を報告した所、祖父母と両親は何故かハッとし、気まずげな顔を見合わせます。
「じいちゃんたち、あの家知ってるの?井戸にいたバケモノはなんなの、教えてよ」
「あそこは……忌み井戸じゃ」
祖父が教えてくれたのは数十年前、あの家に住んでいた一族の話でした。
その一族は拝み屋のまねごとで生計を立てており、近隣の集落も含めて百名ほどの信者を獲得していたそうです。
ご神体は庭の井戸……村人たちは彼等が祀る井戸を「忌み井戸」と呼んで恐れていました。
「ワシも詳しいことは知らんが……連中は井戸に蛇を放り込んで、それを神様じゃと言うて拝んでおったのじゃ。神様に捧げる生贄だとか言って、近所の犬猫を捕まえて捧げてたのも問題視された」
古井戸で会った鱗だらけの男が脳裏に甦り、戦慄が駆け抜けました。
祖父曰く忌み井戸を祀っていた一族は離散し、怪しげな新興宗教も解体されたそうです。
「前にも和尚を呼んだんじゃ、あの家の近くで変な影を見たとか水音を聞いたとか変事が絶えんでの。しかし手に負えんで、魔除けの数珠だけ放り込んで封じたと聞いておる」
「和尚さんの数珠のおかげで助かったんだね」
以後、例の空き家に近寄らなかったのはいうまでもありません。
忌み井戸を祀る一族はどこへ消えてしまったのでしょうか?井戸には本当に神様になった蛇がいたのでしょうか?
もしかしたら一族全員、井戸に身を投げて生餌となったのでは……。
私の背中を押したのは、幽霊なのかもしれません。
よき!
>ごめんなさい、わざとじゃないんです!
わざと石を投げ落としたくせに。
どっかの拝み屋が同じように蛇を神様にするってのは聞いたことがある。