門外不出の地獄絵図
投稿者:くやり (24)
私はY県の古刹の十代目住職をしています。先代の親父が一昨年肝臓がんで逝去し、その後を継いだのです。
うちの寺は地元では戦国時代から続いている有名な寺で、遠くからお焚き上げやお祓い、加持祈祷を頼み来る人が絶えません。
生前の親父は神仏のご利益にあやかりにくる人たちを手厚くもてなし、親身になって相談に乗っていました。
もちろん当代住職の私も例外はなく、由緒正しい寺だからといたずらに敷居を高くせず、衆生に門戸を開きたいと思っていました。
親父の教えで一際印象に残っているのはご先祖様から受け継いだ地獄絵の逸話でした。
「いいか、コイツは戦国時代の絵師が実際の戦場を見て描いた絵だ。歴代の住職はコイツを見せて仏の教えを説いて回ったんだ」
「おっかねえ絵だな」
親父が私に見せた地獄絵図は凄惨の極みでした。鬼の獄卒たちが黒い鉄棒で亡者の群れを追い立て、血の海や針山や炎の谷で責め苛んでいます。泣いて命乞いする母親から赤ん坊を奪い、食らっている鬼もいました。
そのおぞましい光景は子供心に鮮烈に焼き付いて、しばらくは悪夢に出てきたほどです。
人の道を外れたら地獄に落ちる。
だから善行を積まなければいけない。
地獄絵図の恐ろしさに圧倒された私は、仏の教えを信じ尊び真面目に生きてきました。
その後仏教系の高校から大学に進んだ私は、友人Aと知り合いました。
Aはオカルトに造詣が深く怪談のコレクションを趣味にしています。
休みとなれば地方に出かけ、現地の怖い話を集めるのに余念がありません。次期住職の私から見れば少々不謹慎な男でしたが、悪い人間ではありませんでした。
先日、数年ぶりにAから電話がありました。私の寺で百物語イベントを開催したいというのです。なんと彼は学生時代からの怪談好きが高じ、現在は怪談師をしているというのです。
学生時代に話した門外不出の地獄絵図の話をまだ覚えていたのかと、正直あきれました。
Aの提案を受けるべきか断るべきか悩みました。
結果、数年ぶりに頼ってきた友人を無碍にもできず半ば強引に押し切られてしまいました。
Aは「当日楽しみにしてるぞ」と強調して電話を切り、私は途方に暮れます。
友人との約束を破るわけにはいきません。
私は本堂の床の間に地獄絵図を飾り、その前に正座してお経を唱えました。
Aをはじめとする百物語イベントの参加者に仏の教えを説く良い機会だと前向きに捉え直したのです。
当日、Aと参加者がやってきました。
全員が本堂に集まって百物語が始まります。私もその場に同席しました。皆怪談好きを自称するだけあり、怖い話の持ちネタが豊富だなと感心します。順番に語られる内容は事故物件の体験から知人の実話まで、実にバラエティに富んでいました。
とはいえ、百語りきるには到底頭数が足りません。語り手が重複してもせいぜい一晩に五十が限度です。Aは頃合いを見計らって休憩を提案し、私に向き直り言いました。
「そろそろ例のアレを見せてくれよ」
Aに促されて腰を上げ、床の間へと歩み寄ります。静かに覆いをとると、一同が息を呑む気配が伝わりました。幽玄な蝋燭の炎に浮かび上がったのは、妖しい陰影に隈取られた地獄絵図です。
皆が言葉も忘れて絵に見入る中、私は傍らに正座して由来を語りました。
「この絵は戦国時代に実在したさる絵師が手がけたものです。我が寺の門外不出の地獄絵です」
「俺も生で見るのは初めてだが、やっぱり壮観だな。迫力が段違いだ」
絵が動くというのは結構ありきたりだと思うがそいつが出てきて人を襲う(襲ったかもしれないだが)
それが怖い
戦国時代の開基なら「10代目」はおかしいね。
自分の知人の寺は江戸時代初期の開基だが,現在の住職は19代目。
由緒正しい寺の坊さんなら
鬼が出たぐらいで慌てないでくれ頼むよ
こわい