先輩看護師のUさんから聞いた話です。
みなさんもご存知だと思いますが、人は、お亡くなりになる少し前に、いくつか奇妙な行動をいたします。
そのうちのひとつが、「手鏡」です。
死期を自覚しているかいないかはともかく、お亡くなりになる前に、
ご自分の手のひらを、じっと見つめ続ける患者さんがいらっしゃいます。
行為自体は、そう珍しいことではありません。
「手鏡を始めたね。そろそろかもね。」
看護師たちは、小さく頷きあったり、目配せしたりする程度にとどめ、いちいち口にはいたしません。
ある日、20代前半とおぼしき若い男性Sさんが、救急搬送されてきました。
たしか、交通事故だったか、内臓が一部飛び出した状態で、一刻を争う事態でした。振り絞るような声で、「まだ、死にたくない。絶対に生きてやる。」とうめき声をあげていました。
私たちも、なんとかして助けたい、助けなければ、と 医師、看護師一丸となって手術に臨みました。
幸い急所は外れていたようで、「よし。いける。助かるぞ。」医師の力強い言葉を境に、手術は手際よく進み無事終了することが出来ました。
このまま順調に快復に向かうだろう。誰もが信じて伺いませんでした。
ところが、ある日を境に、Sさんの様態が、徐々に悪化していったのです。
怪我とは別の内蔵疾患を疑い、幾度となく検査を試みるのですが、結果、数値は、全て良好で、なんら悪いところは見当たりません。担当医も首を傾げるほかなく、私たちもお手上げ状態でした。
ある朝、夜勤明けの同僚が、怒りに満ちた表情で声を震わせ、ナースステーションに駆け込んできました。
昨夜は、手術が長引き、いつもより遅い見回りとなったのですが、例のSさんの病室から、嗄(しゃが)れた中年女性の声が聞こえてきたというのです。
「ほら、ほら、ちゃんと見て。こうして、手を開いたら、顔の前に手を持ってきて。そうそう、鏡を見るようにね。」
「嫌だよ。なんでこんなことしなきゃならねぇんだよ。」
「早くここから出してあげたいからだよ。さぁ、お母さんの言うことを聞いて頂戴。これは、よく効くお呪(まじな)いなんだから。」
二人のやり取りに、いたたまれなくなった同僚看護師は、ガラリと病室のドアを開け、
「何をしているんですか。今、何時だと思っているんです。安静時間をとっくに過ぎています。規則を守れないのであれば、付き添いを辞めていただきます。」
と、やや声を荒らげて叫んだというのです。
母親は、同僚看護師の剣幕に、
「あ~ぁ、もう少しだったのになぁ。」
チッと舌打ちをして、その場からいなくなったそうです。
治りかけていたにもかかわらず様態が急激に悪化したことや、原因不明の体調不良を振り返ってみますと、「早く死ね。」といわんばかりに、深夜、自分の手のひらを、手鏡を見るように眺めろと強要する母親の姿は、もはや異常としか思えません。
母親は、それっきり一度も姿を見せませんでした。男性患者さんは、その後、順調に快復し、数日後には、退院許可が下りました。母親にも伝えようと何度も電話しましたが、通じません。
その旨伝えたところ、
「連絡?しなくていいよ。あんな女母親じゃねぇ。」
吐いて捨てるような言葉を吐き、Sさんは、病院を後にしました。
それから、二週間後、診察のため訪れた際、医師と看護師に、
「母親は、死んだ。」と告げたそうです。
「え?」絶句して立ちすくむふたりを前に、Sさんは、右の手のひらを顔に向け、じっと見つめるそぶりをし、にやりと笑みを浮かべたそうです。
(手鏡じゃない!復讐したってこと?)
おまじないは、お呪いとも書きますが、看護師の私が今までで体験した中でも、最も怖くて忘れられない出来事です。

























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。