奇々怪々 お知らせ

妖怪・風習・伝奇

はったろさんによる妖怪・風習・伝奇にまつわる怖い話の投稿です

白い建物を建ててはいけない理由
長編 2025/12/02 06:41 749view

私の父の実家は徳島県の山奥にありました。県下第二の大河から岐れて谷を奥にさかのぼった小さな盆地に十数軒の家が寄り集まって点在している場所に父の実家はありました。

昔から林業が盛んで村のほとんどの家が林業をしていました。ですが高齢化や外国材の輸入によって
木が売れなくなりどんどん廃れていきました。

私のうちは山や土地を多く持っていたのでその近辺では大分限者で通っていました。そこの当主である祖父はおとなしい人でいつも微笑をたえていた。

私は祖父が大好きでよく懐いていました。そんな祖父も孫であった私のことを大層かわいがってくれました。小さい頃は祖父と一緒に寝るときにいつも昔話をしてくれました。

ある日いつものように布団に入り祖父の話を待っていると祖父が『〇〇(私)この村には白い建物を建てたらあかんこと知っとったか?』と祖父は私に質問しました。まだ幼かった私はたしかに白い建物ないなと思いながらもなんでなのかはわかりませんでした。私が『わからんもん、なんでなん?』と言うと祖父は目を細めて何故建ててはダメなのかを話してくれました。

昔々当時の世は源氏の天下で、平家一族は屋島、壇ノ浦の合戦に敗れ、戦死したり、自害して果てたものの外は、みな散り散りになって各地の山奥ふかく隠れ住まねばならぬ運命だった。
その頃、うちの村にも鎌倉幕府より『平家の残党を見つけた場合は、捕らえるかその場で殺せ…』という厳しいお触れが届いていた。

ある日うちの村の外れを流れる川に不思議なことに一つの粗末な杓子が流れてきた。この川より上流は全くの原始林で人など住んでいるはずないのである。『もしかして平家の落人では…?』と囁きあった村の人達は、お上のお触れもあり、寄り合いをしていろいろ相談をしたあげく、五、六人の達者な男が武器をもって知らばに行くことになった。

あくる日、男たちはその杓子が流れてきた川に沿って、さかのぼること数時間、小さな丘になった台地にたどり着き、予想通り、そこに母子二人を発見した。

女性の齢は三十前後であろうか、やつれてはいても端麗な容姿と気品があたりを払う。男の子の紙は鳥の巣のようになっているが、その目鼻立ちからして、武士の子であることは一目で判った。

母子は傍らの杉の下蔭に小屋を結び、かくれ身の貧しくて細い煙を立てていたのであろう。
村の男衆に発見されたこの女性は、今日の日の来ることを予期して覚悟を決めていたものか、端然として座り直し、男衆を見据えて言った。

『私は平家の血をひく者で、お鶴と申します。源氏方に追われ、峰々、谷々を越え渡り、ここまで落ちのびて隠れ忍び、山の中の草を採り、小魚や鳥を食として、再び平家の世が来ることを信じ生き耐えてまいりましたが、こうして、あなた達に見つかってしまった以上、助かるべきすべはございません。覚悟はできておりまする。ですが、私も平家一門の武士の娘に生まれました。武将の妻らしく、私自身の手で自害いたしとう存じます。その最後の今、死装束に着替えさせてくださいませ。お願いいたします。そしていま一つ、今生のお願いがございます。それは、これにおります私の息子、まだ幼い子供でございます。私は今の世にあってはお尋ね人ですけれど、この子に何の罪咎めがございましょう。私の一命に免じて、どうか、この子だけは助けてやってくださいませ。お鶴が最後の願い、何とぞお聞き入れくださいますよう、お頼みいたします』

泣かんばかりのお鶴の言葉と、その態度に、男衆はすっかり心を惹かれ、『お鶴さんといわれたのう、ようわかったわ、お前さんの命も助けて上げたいのは山々じゃが、今のご時世ではどうすることも出けへん。じゃがのう、そこの可愛い稚児の命、たしかにお預かりいたしましょう。どうぞ心おきなく往生なされや。』

お鶴が『ありがとう存じます。このご親切死んでも忘れはいたしませぬ。さらば、装束を改めますゆえ、しばらくお待ち下さいませ』と言って後ろ向きに一歩踏み出した。その時、何を思ったものか、男の中の一人が、山刀を抜くより早く、背後から彼女に斬りつけていたのである。『ぎゃっ』お鶴はその場に倒れ、両の手は空を掴んだまま息絶えた。

思えば何故、立派に自害させなかったのか。今は源氏の世、お鶴に情をかけたという風聞が世間に広がれば、男衆の慈悲心が、かえって悪い結果となって、跳ね返ってくると直感したのかもしれない。

京の都を離れて幾百里、なんとも哀れで無残なお鶴の最期ではあった。

その亡骸を埋め、念仏を唱えた男衆は、約束通り子供を連れて帰るようにした。山を下る途中、川が三つに分かれているところに出る。母親が斬り殺された悲しみも、はっきり意識しえない、幼児と思ったこの子は、三ツ目合いにさしかかったとき、道端の芒を一本抜きとって空へ投げ上げていた。腰の小刀がキラリと光った瞬間、降ってきたのはいくつかの芒の切れ端であった。

『ほおっ』その技に舌を巻いた男衆は、『この子はただもんではないぞ、あの母親にしてこの子ありじゃ、生かしておいたら、いつか、きっと今日のことを知って…』以心伝心。男衆は、心を鬼にして、その場近くで稚児の命を絶ったと伝えられる。

その後村人たちはその母子が隠れ住んでいた場所に祠を祀り、ねんごろに祀っている。

そう話し終えると祖父は『白い建物を建てて源氏の追手が来たと、お鶴さんたち母子に怖い思いをさせないようにしとるんじょ』話を締めくくった。私は話を聞いて一つの疑問が思い浮かび祖父に聞きました『じゃあ白いもの建てたらどうなるの?』と。祖父は神妙な顔をして淡々と語り始めました。話口調になるのは祖父から聞いたそのままに書くからです。

祖父が子供の祖父(私から見て高祖父)に聞いた話だそうです。高祖父が子供のころに体験した話だそうです。高祖父の子供のころは明治30年ごろで村も林業で栄えていました。

その頃村に製材工場を作るとかいうことである家族が移住してきた。その家族は東京から移住してきていてどこか態度が尊大で村の人を見下している感がありあまり村人からは好かれなかった仮にTとします。村内にそのT家族の家を建てるとなったとき、村の者に見せつけようと豪勢な屋敷を作った。それだけならばまだただの豪勢な家で問題はなかったが蔵を他のが作ったのが問題だった。

うちの家も近隣では分限者で通っていますがしかし蔵は作っていません、お鶴の祟りがあるのを恐れてうちや他の分限者も作っていませんでした。しかしTはそんなの知るか知らぬか蔵を造りました。白い蔵は村の中でも目立ちました。しかし村人はそのことよりもお鶴の祟りを恐れました。

当時村会議員を務めていた高祖父の父(八太郎とします)や同じく村会議員を務めていたうちと同じくらいの分限者のHさん、これまた同じぐらいの分限者のNさん達が蔵の色を変えるように頼みに行きました。しかTは一言『この明治の世にそんな祟りなんてあるはずがない』と一蹴しました。それから八太郎達は何度も頼み込みに行きましたが聞き入れられず時間が過ぎていきました。高祖父はその時の父の顔は何故か焦っているように見えたという。

高祖父はTの子供とは仲がよかったらしい。その子やTの奥さんは良識のある人で村の人からも好かれていた。

ぞんなことが続いたある日。一人の村人がT宅の前で女の人を見たというのです。その話は小さな村ですから瞬く間に話が広がり、村の人は口々にうわさしました。『お鶴さんの祟りが出た』と。最初はみんな半信半疑でしたが、人影を見たという蔵がひとり二人じゃなく数人が見るようになると村の者はすっかり恐怖しました。

八太郎達がそのことをTに伝えに行っても『大方何か見間違えたのだろうW』と一笑に付し、どれだけ必死に説明しても聞き入れられませんでした。Tの妻や子も一緒になって説得しましたが頑として首を縦に振りませんでした。

それから数か月後T家は数か月前の栄華は嘘のように貧乏になっていました。製材所で相次いで事故が起こり祟りの話が近隣の村にまで広まり仕事が入ってこなかったのです。Tもこれは本当かもしれないと思ったようですが、村の衆の手前あれだけ祟りはないと否定してきたので態度を変えるわけにはいきませんでした。

1/2
コメント(0)

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。