今、私の顔には傷がある。口のすぐ下、顎の先にシャッ・シャッ・シャッとほぼ同じ長さで等間隔に入っている。いつ付いたのはわからず、気がついたら傷がそこにあった。また存在に気付いたきっかけも、同僚から「おい林、その傷どうした」などと言われたとかではなく、自分で鏡を見て初めて気づいたという感じであった。
何だろう、この傷は。
ある日、世間話程度で何となく同僚のAさんに話しかけてみた。鏡で見て傷のある場所を指さしつつ、
「AさんAさん。ここ、傷がありますよね」
「傷?」
彼はそう言うと、眼鏡を外す仕草をしながら顔を近づける。目をギュッとしぼり、しばらく観察していた。
「……すまん、ちょっと見えん」
「あっ、でしたら大丈夫です」
Aさんには傷が見えなかったらしい。あれだけ近づけば見えてもいいだろうに。まあ、あまり傷があるあると言ってもAさんに迷惑だから、ここで一旦話を終えることにした。
家に帰って、もう一度あの傷を見てみる。……やっぱりあるよなあ。傷。しかし何だろうこれは。私はかなり痛がりな性分だから、これくらいの傷が付けばすぐに気づくはず。しかしこの傷はそんなこともなく、気がつけば平然と、顎の先に三匹行儀よく並んでいた。
何だろう、この傷は。
洗面所の鏡の前でもやもやしながら髭剃りを取る。するといままでのことが急にはっきりしだした。やっぱり、単に髭剃りで付いた傷じゃないか。髭を剃って痛みもないまま血の出ることはよくあるし、こんなに細くて薄い傷なら見えなくても仕方ない。事実今の私だって、鏡を少し離れてみればこの傷はわからない。それに髪剃りで傷のつくことなんか、あるあるネタじゃないか。
その日の夜は、ぐっすり眠ることができた。
朝起きてトイレに行くと、信じられないものを発見した。なんと見下ろした腹部の左下に、小さい切り傷が三本あったのだ。しかも今度は間隔がまちまちで、端の方でギュッと近づいているものとヘソの近くで孤立しているものとがある。
……何だろう、この傷は。
しかしこれは流石に場所が場所だから、うっかり誰かに見せればセクハラとして後ろに手が回る。だから傷の存在は言葉で表さなければならない。
「あのー、Aさん」
「おう、どうした」
「その……今度はお腹の下ら辺に、傷が」
「えー……? ちょっと待ってろ」
その直後、Aさんは一緒にトイレに行くと周囲に偽って私の傷を見ることにした。しかし、やはりAさんには見えなかったという。
布団の中で、また何かがもやもやした。確かに顎なら知らずに髭剃りで……ということは考えられる。しかし下腹部にこんな傷などできるのだろうか。私は不思議で仕方ない。
そういえば、我が家の寝室は畳だった。ここはマンションだから寝室と居間とを同じ部屋にしている。だから居間として使っている間に畳の上でゴロゴロして、そこで知らずに傷が付いたのかもしれない。この建物も古いからなあ。
そう思って、取り敢えず眠ることにした。
目が覚めると、首がものすごく痛かった。寝違えとか肩凝りとか、その類いの痛みではない。これは切った痛みだ。急いで洗面所に駆けつけ鏡を見ると、もうその光景には驚くの驚かないのではなかった。
首のど真ん中に、赤黒くかさぶたになった太い傷が付いていた。爪で掻けば今にポロリと落ちそうな、ゴツゴツしたかさぶたが堂々と首の真上にあったのだ。
……何だろう、この傷は。


























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