奇々怪々 お知らせ

呪い・祟り

akabanriさんによる呪い・祟りにまつわる怖い話の投稿です

あなたも住民ね
短編 2025/06/05 10:16 1,384view
1

夏の終わり、蝉の声が耳障りに響く田舎道。古い日本家屋を改装したシェアハウスに住むことになった。都会の喧騒を離れ、静かな環境で創作活動に打ち込みたかったのだ。

入居して数日、特に変わったことはなかった。ただ、夜になると、どこからか微かに線香の匂いが漂ってくることに気づいた。最初は隣の家からだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。匂いは決まって、決まった時間に、決まった部屋から感じられる。それは、シェアハウスの一番奥にある、今は物置になっている部屋だった。

ある夜、好奇心に勝てず、その部屋のドアを開けてみた。埃っぽい空気が、じめっとした熱気と一緒に押し寄せる。部屋の隅には、古びた桐の箪笥が置かれていた。特に変わったものはない。だが、そこに立つと、線香の匂いが一層強くなる。

その翌日から、奇妙なことが起こり始めた。夜中に、誰かが家中を歩き回るような音がする。最初は他の住人の仕業だと思ったが、皆、寝静まった時間のことだった。そして、誰も使っていないはずの、物置の部屋の戸が、少しだけ開いていることがよくあった。

「もしかして、この家に何かいるのだろうか…」

そんな考えが頭をよぎり始めた頃、夢を見た。夢の中で私は、あの物置の部屋にいた。桐の箪笥の前に立ち尽くしていると、箪笥の引き出しがゆっくりと開いた。中には、古びた着物が畳んでしまわれている。その着物の袖から、白い手が伸びてきて、私の手首を掴んだ。冷たく、それでいて力強い感触。その手は、ぐいと私を引き寄せる。

ハッと目が覚めた。額には嫌な汗が滲んでいる。夢だ、夢だと言い聞かせたが、手首に残る感触が、あまりにリアルだった。

その日以降、私は物置の部屋に近づかなくなった。他の住人にも、その部屋の話はしなかった。ただ、線香の匂いは、ますます濃くなっていくような気がした。

ある日の午後、私は原稿の締め切りに追われていた。煮詰まって気分転換に外に出ようと、玄関に向かった時だった。ふと、視界の隅に、白いものが映った。

物置の部屋のドアが、完全に開いている。そして、その開いたドアの奥、桐の箪笥の前に、白い着物を着た女が立っていた。彼女は、ゆっくりとこちらを向く。その顔は、のっぺらぼうのように何もなかった。ただ、その輪郭の中心に、黒々とした穴が二つ、こちらをじっと見つめていた。

私は悲鳴を上げそうになったが、声が出なかった。全身が金縛りにあったように動かない。女は、ゆらりと一歩、こちらに足を踏み出した。その動きに合わせて、線香の匂いが、むせ返るほどに強くなる。

「いやだ…来ないで…!」

心の中で叫んだが、その声は誰にも届かない。女は、もう一歩、そしてまた一歩と、私に近づいてくる。その度に、私の心臓は、激しく鼓動を打ち続けた。

女が、あと数歩で私に届くという距離まで来た時、私は意識を失った。

次に目が覚めたのは、自分のベッドの上だった。身体中が鉛のように重い。窓の外からは、蝉の声がまだ耳障りに聞こえる。夢だったのか?

だが、左の手首に、冷たい感触があった。恐る恐る見てみると、そこには、白い指の跡がくっきりと残っていた。まるで、誰かに強く掴まれたかのように。

私は、もうこのシェアハウスにはいられない、そう直感した。すぐにでもここを出ていかなければ。
荷物をまとめ、急いで玄関へ向かう。早く、この場所から逃げ出したかった。

ドアを開け、外に出ようとしたその時、背後から声が聞こえた。

「やっと、会えたね」

振り返ると、そこにいたのは、物置の部屋で見た白い着物の女だった。その顔には、相変われた何の表情もなく、ただ、黒い穴が私をじっと見つめていた。

「これで、もうどこにも行けないね」

その言葉と同時に、女の細く白い腕が、私の首に絡みついた。ひんやりとした感触が、私の気道を塞ぐ。私はもがいたが、その力は想像を絶するものだった。

意識が遠のいていく中、私は気づいた。あの線香の匂いは、私自身から発せられていたのだと。
私は、もう「私」ではない。あの女と、一つになってしまったのだ。
そして、この家から、また一人、線香の匂いを纏った「住人」が増えるのだろう。

1/1
コメント(1)
  • 一人だけのシェアハウス
    気づけば誰かがいる

    2025/06/05/16:40

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。