無垢で白いお手紙
投稿者:楽普通 (1)
この度はお悔やみ申し上げます。
彼女が死ぬまでの経緯を一刻も早くお母様にお伝えしたいと思い、筆を執った次第です。
その前に自己紹介をさせてください。私は同じ市内に住む学生で、故人飯嶋柚黄さんとご生前に親密な関係を持たせて頂いた恋人でもあります。
私が飯嶋さんと出会ったのは、彼女が亡くなる六日前でした。「会った」と言っても、実はお顔を生で見たのはあの日が最初で最後でした。「知り合った」のは、あのチャットアプリがきっかけでした。
私は出会い系のアプリで検索に引っ掛かった女性に手当たり次第、声をかけていくのが日課でした。大抵は反応がなかったり、刃の荒いナイフのような罵倒の言葉の数々が並んであったりするだけでした。大数の針を垂らして、いつか震える竿を待ち続ける日々でした。そのうちの一本が、凄く良い兆候を見せたのです。柚黄さんの肯定的なお返事を頂いたのはその時でした。今でも忘れません。
「馬子さん、初めまして! ユズって言います、仲良くしてください!」
心は空高く跳ね上がり、まるで雲を心に留めたときのような昂りを覚えております。
私は部屋の隅で参考書の陰に紛れて久しく、あんな高揚感を味わったのは、生まれたばかりの妹の赤い手に触れた時以来でした。
私は誓いました。生きる楽しみを思い出させてくれた柚黄さんを幸せにしてみせる、と。なので、こんなはずではなかっったのです。私はあの部屋で初めてお母様を見ました。隅の椅子に深く座って膝に抱えた箱に顔を埋めて涙を流しておられました。それを見ると心が深く傷がいくまで締め付けられるような思いになりました。本当にごめんなさい。しかし、仕方のなかったことだとどうか分かってください。あれは、どうしても、私には避けられなかったのです。私達が生きる世界に、神様がいるのであれば残酷でした。
私とユズの仲はアプリを通じて深くなっていきました。好きな動物についても話したことがありました。ユズは犬が好きなようですね。理由はきっと、彼らの飼い主への従順さにあるのでしょう。誰かを従わせて、自分の傀儡モノにしてしまうことに心昂るものが彼女にもあるのでしょう。私と同じでした。
話せば話すほど、私とユズは似通う点があることに気づきました。好きなもの、嫌いなもの、他人が指一本触れようものならば壊死してしまいそうな弱い部分……。あ、きっと私達は、親密な間柄になるのと同時に、弱点や傷を慰め合う、癒すことはできないけれど、分かる間柄になったのでしょう。依存と言えば良いのでしょうか? いや、それよりも■■■の方が絶対良いです。ごめんなさい、間違えました。塗りつぶした所は関係ありません。(この消しゴムが悪くて、上手く消せませんでした。)
私達は会う約束をしました。市内の例のホテル前をまた集合場所としました。ユズが着いてすぐ私を認識できるよう、長ズボンと厚手のパーカーで向かいました。ホテルのエントランスが視認できる所までたどり着いた時、一人がドア前で立っているのが見えました。腰まであるまっすぐな黒髪を見るに、ユズだと確信しました。「うちの髪はめっちゃ長いんよ! ホンマに!」って言ってたのをはっきり覚えていましたので……。(打ち解け合うまでがびっくりするほど早くて、すぐに口調も柔らかくしてくれたんです。やっぱり私達は何か持っていますよね、よくは分からない運命的な何か、赤い糸なんて呼ばれる概念。あと、娘さん、関西の人だったんですね?)。
「ユズちゃん?」声をかけると、一瞬驚いた目を見せて、手元のスマホに目を落としてポチポチした後、その画面を私に向けました。メモのアプリに〈マコちゃん!?〉と書かれていました。恥ずかしながら、彼女が死んだ後にわかったことですが、彼女は喋れなかったんですね……。
そんなことで関係が途絶えるような仲ではなかったのですが、流石に私も反応に困りました。こういう時のマニュアルがきっとあるのでしょうが、こんな私でしたので機会も興味もありませんでした。これは私の恥ずべき失態の一つなのでしょう。
彼女の告白に私がたじろいでいると、次第に私を纏う空気だけが重く沈んでゆくのを感じました。私よりも四つも五つも年齢が落ちる容貌だったので、この場の主導権は私の内に留めておく必要がありました。画面越しではできた弱者同士の傷の舐め合いが、そんなのを前にすれば……、今だけは。今日だけはできなかったのです。私は思い知りました。たかが蛙が閉鎖空間で端末片手に世界を見て、全てを理解したかのように振る舞い、いざ大海へ出らん、と奮い立っても、実際はそんなもの、なんの足しにもならない、ということを。
ユズと対面して咄嗟に、私はユズよりも上に立っていなければいけない気がしました。相手が喋られないなら、私から喋れば、そうさせた責任をユズに被せることができると確信しました。今、やるべきことは相手を私の統制下に置くこと。よって相手よりも早く行動を起こして導く側に、鞭を振る側に動くことが先決でした。周囲を知覚する能力が欠落したのはそこからでしょうか。今思い返せば、彼女は疑問符一杯を顔一面に敷き詰めて、出せない声の代わりに、困惑によって震え切った脚の代わりに、私にがっちり掴まれ何処にも逃げ場のない細く真っ白な腕の代わりに、その真っ黒な瞳を目一杯小さくして私に訴えかけていたような気がします。私は私のキザな部分に侵され囚われ、自らを見失っていたのです。そこには私の意志などはありませんでした。
屋内に移って、階段を踏んで響く音が密閉された鉄箱の中で上から下からこだますると半ばパニック状態の頭が次第に冷静さを取り戻して、次に視界に飛び込んできたのは、一段とばして階段にかかった右足と、右手にある部屋番号のタグがくっついた鍵、それから左腕を揺り続けるユズの泣きっ面でした。無垢な瞳は今から何をするのかを理解していないように見えました。私はユズを宥めるかわりに、少し笑って見せて一段ずつ焦らずゆっくりと目的地まで彼女をエスコートするように心がけました。勝手な偏見でしたが、ユズは声は出せないとしても、耳は聞こえるものだと思っていました(後々、おとなの人が、ユズに関する情報を口にしているのを聞いてから初めて、ユズは耳にも声帯にも障害を持つ類の人であることを知りました。だから、柔らかく微笑んで見せた後に「もう少しで着くから、もう少し、後少しの辛抱だよ」と歯のほのかに黄ばんだ根元を意識的に上唇で隠して控えめにニカっと笑って優しい言葉をかけましたが、あれも実質は私の独り言だったようですね)。
鍵のタグに書かれた番号と、扉に掛けられた部屋番号を照らし合わせて順に辿っていき、やっとの思いで私達の部屋を見つけ、ユズを中へと案内しました。幅が無駄に広いいつものベッドに今日はユズを横になるよう促しました。促す右手と、ゴムの一つを枕の下へ、一つをポケットにスッと忍ばせる左手と、それらはまさにピアノを叩く時のように、動きこそ分離はしていましたが、それぞれ”曲”という同じ目的を背負って向かうプロのそれでした(妹と死ぬほど経験を積んでいたので、さらに、妹とどこか雰囲気が似ていたので、とてもやり易かったです。ただ、声の問題で始めアワアワしてしまいましたが……自分で言うのも、ですがやはりそこは上手くできていたと自信を持って言えます)。部屋に入ってユズを支えて雰囲気を壊さないように上手く隠していざ始めようとする直前までは、順風満帆でした。仰向けのユズに足元から近づき、視線を重ねたまま、まだ括れの疎い腰に手を添えて薄手の紺の短パンの上から、どんな女性にも持ち合わせている、全て男を堕とす罠に、自ら近づき可愛がってみると、どうしてか、ユズが震え出したのです。しかし、私は瞬時に理解することができました! 私は経験があるからと、つい主観でこの空間を傍観していましたが、恐らく、いや、絶対ユズちゃんには未だそういうことをしたことが無いのでしょう! これから起こる愛の事象に期待と興奮で沸き切った頭を一度冷や水にさらして、事態を客観的に見ることができたのは、やはり私のユズを想う気持ちが強いからでした。妹を相手にするときは、私の余った分を、妹の足りない部分を補う、所謂「穴を掘っては埋める」反復作業を愛してやまない私だったので、長期に渡って回数を重ねた妹には頭を冷やす水などは既に飛び切ってしまっていたので、無抵抗に服を剥がされた人形を前にした私はケダモノのように見えたでしょう。
目に大粒の涙を匿って口元がすっかり歪んで、第一印象に露わになった明るさは今の表情にはどこにも見当たらなくなってしまいました。いつもと違って自制心はあるつもりだったので、身体の如何なる部位も傷つけない自信がありました。
「大丈夫だって、僕を信じて。最初だけだから。」
「周りの女の子も同じことしてるんだよ……。ぁ、ほら! 君のお母さんもだよ! だって君はお母さんから産まれたんでしょ? だから、ね?」
一度そこから指を離して、ユズの震える身体をさすって彼女にとってポジティブで優しくて甘い言葉をたくさん並べてみせました。ユズはさぞかし不安だったでしょうが、私には甘美な時間に感じてしまいました。なるほど、知らない間にメフィストフェレスが私の背後に飛び込んだのでしょう。
時よ止まれ……。その言葉を口にした主人公がどんな末路に行き着いたのか、私は知っています。天使に抱かれて雲上へ昇ることを生きる目的だとか、人生最大の幸せだとか、貴方も評するのであれば、あの結末がハッピーエンドに見えるのでしょう。母の手の中で安らかに過ごし続けることが果たして幸せと言えるでしょうか? 一度きりの素読で第一印象の、本当に表面の、私だけの「ファウスト」だったので、愛読者にしてみれば詭弁にもなり得そうですが……。どちらにせよ、目の前の問題を早急に解決するためにも、私は今、昇華してしまうわけにはいきませんでした。汚れの一つも無い新品の人形を前にして、それは勿体無いでしょう? しかも、それは大粒の涙を胸元に注いでは体の端に沿って注ぎ落ち、枕を濡らしてしまうのです。なんといじらしい。そして、頭の排熱が思い通りにいかずに、溜め込んでしまったが故です。
そこから記憶がありません。
頭が正気を取り戻すころには、ユズは一糸纏わぬ姿でベッドに横たわっていました。交互にゆっくりと上下する腹と胸を見ると、呼吸はあるようなので安心しました。空間のピークを超えた後は、暫く、特に意味もなく、愛らしく尖の一つもない丸いユズの輪郭に沿って目をやり身体の隅々を辿っていました。そして、濡れた枕が乾いた頃、あんなに沸騰していた血がいつの間にか冷静さを取り戻しており。私はやっとその場の異常性に気付く。泣き腫らしたまま緩く閉じられた目は乾いた涙で潤いを忘れる。そこから内に見える背骨が連なっているのを下っていく。口が見えます。産毛のようなものがぽやぽやっと生えている。その口が戻してた! 戻してたんです! 私の失態です。妹と遊べず久しく! そうであったが故に確率を高めた真っ白な。間違えた 私じゃなかった でもあれって私のだった あのときあんなもの持ってたのは■だけ あーちがう あれはちがう。けいさつは絶体ぼくのせいって言う 年れいに似合わないことするのがバレるのははずかしい。
そうです。恥ずかしいんです。私は隠す必要がありました。ゆずのお腹の中に私の破片が蹂躙したという事実が、欲に負けて歳下の下着を手で剥いだという事実が、明日にでもニュースにでもなってクラスのみんなからそういう目で見られるのは、恥ずかしかった。坂本君は常習的に下品な単語を並べて、周りの子は、男の子なんかは特にヘラヘラ笑って煽るけど、ぼくは知ってる。会話から坂本君がトイレか何かで席を外せば、みんなの呼び方が「サカモッチャン」が「ヘンタイ」に入れ替わっていて、彼を滅多刺しにしてしまうような話題が展開されて、もちろんぼくも生きるためにその話題の上で従順に、みんなと一緒に「上」に応じてワンワン吠えてるしかなかった。でも、坂本君が悪かった。「上」の告白を振ったりなんかするから。上の逆恨みでこんなことに。上はいつも言っていた「うちが嫌いになる奴は決まってヘンタイなんだよ、ほら、坂本とかね?」「みんなもこうなりたくなかったら『ヘンタイ』なんかになっちゃダメだからね」。上は、全てが浅はかで、でも人形みたいに綺麗でみんなの人気者だったから、今思えば滅茶苦茶でも、周りのみんなは嫌われまいと必死になってたから(坂本君はほんとうに愚かだった)。みんなにバレないように欲と付き合ってきたのに、ユズで失敗した。遊んだ後に見合うような静閑な雰囲気に包まれて穏やかに寝息を立てる宝石ユズは天井からの細い光を受けてチラチラと表面のきめ細かさをみせる。美しいのは表面だけ。破壊しなければ。私のがいた証拠があるユズの下腹部を取っ払えば、ヘンタイにはならないで済む。人殺しにはなっても上と周りにヘンタイと称されずに済む。護身用に持っていたナイフがバッグに入れたままなのを思い出した。ユズの呼吸音に紛れてバッグを漁って……。この日のために持っていたのだと確信しました。
折角仲良くなったのに、もうお別れなんて……。でも、ぼくがヘンタイって呼ばれるのは、上に目をつけられてしまうのは、きっとユズも望んでいないことと思います。早速、ユズの小さな背中に手を添えて仰向けにするのを助けて馬乗りになって、小さな臍のすぐ下に刃先を合わせて一気にいこうとしましたが、極めて冷静な頭で考え直すことにしました。愛しい宝石に傷が入るのは嫌でした。だから、種子を手放した袋を直接壊して仕舞えば、解決するのではないか。ベッドに真っ直ぐ横になっているユズの太ももを左右に大きく開いて正面に穴が見える位置に移動した。刃物で人を傷つけるのは初めてだったので、内心怖かったです。でも、上が。骨盤に垂直に刃を立て、先を穴に少し食わせて、そこからは短かったのを覚えています。包丁の半分を咥えたまま柄を持つ手を乱暴に回して、すぐにユズは目を覚ましてベッドからこぼれ落ちるように退いて、激痛に襲われそれどころでない彼女は這って出口を目指していた。可哀想で仕方がなかった。ぼくは優しく有りたかった、ユズにとっての恩人になりたくしょうがなかった。ぼくは医者じゃなかったから、ユズが通った跡の赤さを見、切り刻まれたユズのそれを見、彼女が今どれだけ危険な状態にあるのかなんて分かるはずもなかった。ぼくなりに考えたのが「ユズの命はもう短い」でした。その間を苦しんで死ぬよりは、早急に命を奪って楽にしてあげたい。ぼくには計り知れない痛みなんて年端もいかない女の子が背負い続けるには酷過ぎる。ぼくの元から数センチずつ離れていくユズにそんな同情を寄せながら、そんなことを考えていました。ぼくが思いつくお互い最も楽な方法というと「首を掻く」ぐらいでした。しかし、包丁を裸でバッグの中でほったかしてしたので、所々欠けていて、お世辞にも切れ味が良いとは言えませんでした。でも、やるより他なし。覚悟を決めてユズの首が見えるところまで足を進めました。嬉しかったのが、長髪をかき分けてまみえる首が思いの外細かったということと、声がないことでした。「ぼくもユズも、苦しい未来はもう見えないね 良かった、よかったよ」ぼくの声によって心の平穏を得られた人間は、ぼくだけだったのですね。はやく はやく手をかけよう。ユズが 苦しそう。下から崩れて やがて 四肢が 指先が 鼻が 目が。 瞳が 涙はもう帰れないから 寂しそうに また懲りずに涙を離してしまう。 かたいカーペットの上で粒になって並ぶ 塩気の多い涙が 後から赤く染まっていくのを ぎょたくみたいな それを見守って 次は私が って聞こえないけど叫んでる。わかったわかった。ぼくがすぐに あわせてあげる 約束した気がして。涙が手放されてるところと 拾わずにはいられない 赤さが 拡張を手伝ってるところと なるべ く ちかく してあげれば ぼくも ゆずも ゆずの涙も 苦しくない。 いまが 苦しすぎて 生きるのがいやになって でも おっきなせき任があるのは知ってて。 手が ゆずのが ドアノブに届きそうだった でも たりなかった。 なんか たたきはじめて いっしょうけんめいなのが理解できなかった。 ■■■た。■■だった。■■■■■■■■■■。ごめんなさい やっぱりかきます 正直 ぼくはうれしかったのです 上のしたにいるぼくよりもすごく苦痛に満ち満ちていて ぼくより不幸で うれしかった
ドアに張り付くユズのからだをうつ伏せにとどめて おなじかんじに馬乗りになって 頭を回して口をぱくぱくさせて 顔といい下といい 全ての穴という穴から体液をまき散らせて あまりにみっともなかったので 首をかってあげました。
手応えはなかったです。 思ったよりも軽かったです 包丁が通ってなかったかな って思っても 左手に泣いてるユズの頭があって。 そういえば 恋人なのに キスの一つもしてなかったな ってなって。想像してたより しょっぱくて 涙もぴたりとやんで ふたりで笑いました。雰囲気は 良かったです。
でも、なぜですか。 あなたが言ったのかは分かりませんが、ユズの頭を私から奪っていったでしょう? どうして 誰が 骨だけにしてしまうのを許してしまうのでしょうか。柵を隔ててユズの写真を抱えた人の隣で、あなたが箱をもっていたじゃありませんか。愛する人を失って、その形さえも無くしてしまうなんて、よく耐えられましたよね。あなたは、本当に母親ですか? ユズを火に投げ込んだくせに、ユズをあのままで保管してしまう方法なんて調べたらいくらでもあったはずなのに。あの場では一丁前に泣いていましたよね。あの時ほど腹立たしくなったことはありません。ごめんなさい本当にごめんなさい。あなたを疑ったことをゆるしてください。あの場ではどうしても恥ずかしくて言えなかった全てをここに書きました。私がお伝えしたかったことはこれで以上です。
追伸
ゆずさんを亡くされて、悲しい気持ちに苛まれているでしょうから、小説風にして楽しく読めるようにしたので、時々引っ張り出して読んでいただければ幸いです。ユズが忘れさられないためにも。
馬鍬隼より
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