「怪談の噂」の実験とその結果
投稿者:あまね (9)
小学生の頃の話。
私の通っていた小学校には旧校舎の廊下に大きな鏡があり、それにまつわる怪談が流行った。
1人の時は旧校舎の鏡を見てはいけない、中の自分が違う動きをしている時がある、それを見てしまうと鏡の中の自分が出てきて鏡の引き摺り込まれ入れ入れ替わられるというものだった。
私はこの話を聞くのが好きだった。何故ならこの話は私が友達と作った怪談だったからだ。
当時親の本を読んで「広まる怪談には法則がある、身近なこと、回避方法があること、嘘だと証明できないこと」というものを見かけて試してみたかったのだ。
この話は図書室や理科室など一部今も使うため出入りできる旧校舎の鏡という身近なものであり、鏡を見ないことで回避できる。そして1人の時でしか行えず、鏡の中の自分に入れ替わられてしまうので、本当に実行したことと今までの自分と同一なことを証明できないと嘘だと証明できない。我ながら良い出来だった。
話は尾鰭がつきながら学年中に広がった。
不思議なことに他学年には全く広まらなかった。
私達の学年より下級生は上級生に揶揄われたと思いそれを間に受けたと思われたくないので他に伝えることはなく、上級生は下級生の話を間に受けてるのがダサいと思われるので広めなかったのだろうと考察している。
まあ当時の自分がそこまで考えていたかというと微妙なものだが、自分なりに試して考えて「他とは違う賢い自分」みたいな妄想に酔ってた、ちょっと早い中二病の記憶だ。
ただこの怪談は思わぬ進化を遂げた。最初は尾鰭がついたと言っても回避方法が増えたり、「引き込まれて成り代わられる」から「殺されて成り代わられる」に変わったりその程度だったのだが、次第に鏡のいわくや過去の犠牲者の話が出てきた。
回避方法を増やしたり被害を盛るのはわかる。恐ろしいものから助かる方法はみんな知りたがるので知っていると立場が良くなるし、被害が大きくなればその恐ろしさが増して尚のこと回避方法を知ってる人間に話を聞きたがる人が増えるからだ。ここら辺は広まる怪談の条件にも繋がってくる。
けれどいわくや過去の犠牲者はあったところで必要ない。誰かが付け足したところで伝達されていくうちに省略されてしまう部分だ。
なのに『旧校舎の大鏡は戦時中からあり、沢山の死体を写すうちに魂が移ってしまった。その霊達が体を求めてそんなことをしている』だの『7年前に女の子が入れ替わられてしまった。ずっと誰も気づかなかったが5年前交通事故に遭い、目覚めた女の子は「ずっと鏡の中に閉じ込められていた。誰も気づいてくれなかった」と泣き喚き精神病棟に入れられた』などという話が定着していった。
この話が追加されてからこの怪談は更に勢いを増して回避方法も増えた。中には「自分の血を捧げたら見逃してもらえる」なんて悪質なものまであった。
私は自分で作った作り話が思わぬ方向に進化していくことが怖くて、あえて1人で大鏡の元へ向かった。不安で怖かったからこそ、試すことでやっぱり作り話だと安心したかったのだと思う。人の話だと「もう鏡の中の奴に代わられてるんじゃないか」と思ってしまうが自分の経験なら信じられる。
私は大鏡を見つめた、自分がそのまま写っているだけだった。これじゃ足りない。
あくまで「鏡中の自分が違う動きをしている《時がある》、それを見てしまうと入れ替わられる」なのだ。運が良かっただけども言える。
なので付け加えられた怪談である「1人の時に大鏡に触れたら引き摺り込まれる」の方を試すことにした。
恐る恐る大鏡に触れる。しかし何も起きない。
安心して教室に帰ろうとすると振り返る、その直前あることに気づいた。鏡の左下が赤い。
よく見るとそれは人の手形だった。まるで血のように見えた。
誰かが怪談に悪ノリしてインクで行った悪戯かもしれない。
だがもしあれが話を信じた子供の血だったらと思うと話を作った人間として罪悪感があるし、何よりそんな供物をされて多くの人に信じられてしまった大鏡が本物になってしまうのではと恐ろしかった。
それ以降私は大鏡の話の現状を探らず、大鏡にも近寄らなかった。それどころか旧校舎にも極力近づかなかった。また見た時にあの手形が酸化した血のように黒くなっていたら、数が増えていたらと思うと怖くて視界に入れたくなかった。
そんな状態のまま小学校を卒業し、今では旧校舎自体が取り壊されている。
私の作った怪談の最後はどうなったのだろうか?
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