吊り人
投稿者:ねこじろう (147)
「そろそろ『吊り人』が現れる時分かなあ、、」
「吊り人?」
俺は隣に座る榊原さんの疲れた横顔を見、聞き返した。
襟の汚れた白の開襟シャツに、くたびれたグレーのスラックス。
年の頃は70くらいの榊原さんは白髪交じりの短髪を無造作に掻くと、再び口を開く。
「これはバス停そばの雑貨屋の店主から聞いた話なんだけどな、『吊り人』というのは魚釣りをしている人のことなんかじゃなくて、日の沈む頃になると、この鬱蒼とした林の中に現れる恐ろしい悪霊のことらしい。」
樹齢百年は越えているであろう巨木の下に、俺と榊原さんは二人並び座っている。
見上げると、遥か上方で複雑に絡み合う木々の枝枝の隙間から漏れる陽光が大分弱くなっていた。
聞こえてくるのは名も知らぬ鳥の不気味な鳴き声と、風で枝が揺れる音くらい。
ふと時計を見ると、時刻はもう午後5時になろうかとしている。
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東京ドーム10個分はあるという広大な原生林。
ここはその豊かな自然というよりも、自殺の名所としての方が有名な場所だ。
28年勤めた職場をリストラされ、妻は若い男を作って家を出ていき、今年20歳になる一人息子は去年家出したまま音沙汰なし。
挙げ句の果ては長年の酒浸りの生活からか、みぞおちの鋭い痛みから病院に行くと、初期の【肝硬変】という診断を受けてしまう。
職を失い家族も失い金もなくさらにおまけに持病持ちという、四重苦でアラフィフの俺はもう生きる気力さえ失ってしまい、死に場所を探しにやって来ていた。
もう初春だというのにまだ肌寒い早朝に家を出て、電車を乗り継ぎ山裾の駅に着く。
それから地元の路線バスに揺られること半時間。
原生林入口のバス停に着いた頃には午後になっていた。
それからはただ立ち並ぶ木々の狭間を夢遊病者のようにひたすら歩いていると、途中ばったり年老いた男に出合う。
それが榊原さんだった。
榊原さんは15年間アルツハイマー病の奥さんの介護をしていたらしい。
自らも心臓に病を持つ彼はその心労に耐えきれず、とうとう自らの手で奥さんの首を絞めて殺めてしまった後、死に場所を探してこの原生林の中を彷徨っていたという。
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膝を抱えた榊原さんは顔を上げると、訥々と話を続ける。
「『吊り人』は全身が透き通るように白くヒョロリと背丈が高くて、2メートルくらいはあるらしい。
特徴的なのは、首と両腕が異様に長いそうだ。
普段はこの広大な林のどこかに潜んでいるのだが、日が沈む頃になるとその長い両腕を引き摺りながら徘徊し始める。
そして死を覚悟した者がいると何処からともなく現れ、腰に巻いた荒縄をほどき、そこらの木の高枝に通し先端に作った輪っかに首を通すと上方に引っ張り、楽にしてあげるということだ」
心臓の激しい拍動を喉裏に感じる。
息子さんの為に生きてください。
読みごたえの、ある文章ですね。うますぎます。
kamaです。情景が見えてくる文章がとてもいいですね。好きです。
なんかスレンダーマンを少し変えたような存在だな吊り人。もしかしてイッチさんが見たのはスレンダーマン??