明け方の正座
投稿者:タングステンの心 (9)
私には、最近悩まされていることがあります。
それは決まって、私が仕事から帰った後に起こります。私は会社員ですが、学習塾に務めているので仕事が始まるのはお昼過ぎ、その代わり、会社から自宅に帰ってくるのはいつも日付が変わってからです。昨日も、確か深夜の十二時半は過ぎていたと思います。
妻や娘たちを起こさないように、玄関の鉄のドアをそおっと開けて、内側から鍵をかけます。玄関先の戸棚に財布やら鍵やらを置いて抜き足差し足、静かに居間に移動します。転職したときに会社が借り上げているアパートを借りました。借り始めたときに築十年くらいということですから、いま築十五年くらいでしょうか。妻は「都市ガスが高い」と文句を云うときもありますが、内装はきれいで私も子どもたちもそれなりに気に入っている部屋です。
私はネクタイを外し、スーツから寝間着に着替えました。それは、平日には家族たちとほとんど生活時間の合わない私にとっては、一日のうちでほとんど唯一と云って良い憩いの時間だったのです。近頃、気味の悪い目に遭うようになるまでは。
蛍光灯の明かりは会社だけでもうたくさん、まぶしい部屋が嫌いなのでキッチンの明かりと机の上の電気スタンドだけ明かりを灯します。落ち着いた音楽をかけて、一杯引っかけながら書斎代わりの狭い机と本棚にある本を気の向くままに読む。それが私の楽しみです。
読書の趣味はまさに雑食といった体でほとんど何でも読むのですが、ここのところ怪奇小説を好んで読むことが多くなりました。ちょっと古いやつが好きです。江戸川乱歩も好いのですが、最近の自分の流行は夢野久作です。みなさんのなかにも『ドグラ・マグラ』を読んだ方がいるかもしれません。夢野の作品には「夢中遊行」つまり現在で云う夢遊病がときどき顔を出します。
或いは、私や家族を悩ますものもそれなのでしょうか。
三時か四時くらいまで、酒を飲み、気ままに本の頁を繰って時間を過ごしますが、明け方近くに眠くなってくると、私も歯磨きをして床に就きます。このところ、私がもっとも不気味な気がするのがこの時間です。
歯磨きをして、便所を済ませると、携帯電話の明かりを頼りにして自分の布団に潜り込みます。居間を出て、いったん玄関口を通って、その奥に家族の寝室があります。ベッドなんて気の利いたものはありません。家族四人、地べたに布団を敷いて寝ます。入口に向かって左に長女が寝ます。そのとなりに私が寝て、右側には次女と妻が寝ることになっています。いい加減、子どもたちが大きくなって手狭になってきたのですが、窮屈でも家族みんなで眠れるのは幸せなことだと私は思っています。
携帯の小さな画面がぼおっと光り、寝室をぼんやりと照らし出します。こうしないと、どちらかの、否、ひどいときには両方の、子どもを踏んでしまうことがあるので、どうしても家族を起こさない程度の明かりが必要です。布団に入ろうと自分の枕のあたりに腰を下ろしたのですが、「まただ…」という思いが私の頭によぎり、私はその場に硬直してしまいました。
携帯の明かりが左手に照らし出しているのは、長女でした。しかし、布団のなかで寝息を立てているのではありません。壁に背を向けて、ちゃんと私の方を向いてそこに正座しています。薄目が開いているようにも見えますが、とても正視できません。
右手にも、いまや見慣れてしまった奇妙な光景が照らし出されます。妻がこちらに向かって奥で正座しています。そして、手前には次女がちょこなんと正座しています。
初めて見たときには戦慄して、とても「起こそう」などとは思いつかず、頭から布団を引っ被って震えておりました。その後、「おい、どうしたんだ、みんな。起きているのか。おい、何なんだ。怖いからやめなさい」と勇気を振り絞って声をかけてみたこともありますが、これまで反応があったためしはありません。
きょうもきっと駄目だろう、と思いました。ですが、一応、「またか。お父さんはもう寝るからな。おまえたちもそんなことをしていると明日寝坊するぞ」と声をかけてみました。いちばん近くに座っている次女の開けた薄目から白目が覗いており、携帯の明かりが反射しているのが見えたときには、もう限界でした。
しかし、不気味なことにはちがいありませんが、ただ同じことがつづいているばかりならばなにもこんな長い文章をみなさまのお目にかけなくてもよかったでしょう。今回、一文を草するつもりになったのは、きょう帰宅したところ、珍しく妻がまだ起きていて、私に声をかけたからです。
「最近、眠れるか」とか「会社で嫌なことはなかったか」とか、そういったような身に覚えのない質問をしてきました。「特にない」と答えました。実は毎晩のようにおまえたちが明け方に白目を剥いて布団に正座しているせいでよく眠れない、とはさすがに云えませんでした。
妻がまだなにか云いたそうな妙な顔をしているので、どうしたのか、と尋ねると、云いづらそうにことばを選んで妻が私に聞かせた話に、背筋が寒くなりました。
「お父さん、いつも夜更かししているでしょう。きっと布団に入るのも遅いんだと思うんだけど、何かね、明け方くらいにうなされているっていうか…」
「明け方?明け方にはふつうに布団に入っているけど、どうかしたのかい」
「うん、云いづらいんだけどね。でもお姉ちゃんも怖いって云っているし、どうしても話しておかないと、と思ってね。あのね、お父さん、明け方になると毎日お布団に正座してるの。それで、気がついたお姉ちゃんや私がいくら起こしても起きなくてね。なにかするわけじゃないけど、薄目を開けたまま黙って座っているから、ちょっと怖くって…」
…私はしばらくことばを失いました。
出鱈目だ、明け方に白目を剥いておれの方に向かってきちんと正座しているのはおまえたちじゃないか。やっとのことで、私もそれを正直に妻に伝えましたが、そんなことはない、お父さんはきっと悪い夢を見ているんだ、と云うのです。
いよいよ話は平行線になるかに思われましたが、そのとき妻が「証拠がある」と云い出しました。自分の携帯を取り出した妻は、「動画を撮った」と云うのです。きょうの未明の時間が保存日時として画面に表示されていました。
真っ暗な画面でなにが映っているのかよく見えません。「ねえ、お父さん、お父さんってば」と長女がだれかに呼び掛けているのが聞こえます。「お姉ちゃん、電気点けて」という妻の声。
画面が一瞬だけ真っ白になってそこに映っていたのは、まぎれもなくちゃんと正座した私の姿でした。
怖すぎわろた…
おとうさんお疲れ様ですね。
読みやすい文章が怖さを忘れさせてくれました。
おやすみなさい!
素晴らしい
文章うますぎて惹き込まれました
正座してる姿が浮かんでくるようでホントに怖かったです
普通に考えて、旦那の方も証拠を残すと思うんだが