そこから大学生は、かかし祭り、そして村の歴史について調べ始めた。
お盆に合わせて帰省中で、祭り明けには戻るはずだった予定を引き延ばし、卒業論文を兼ねた郷土研究として、たくさんの地元住民に声をかけ、役場や蔵に残された文献、口伝など、できる限りの情報を集めた。
そうして、それらしくまとめられた卒業論文の裏で、ひとつの陰惨な仮説が立った。
村内に残る文献を調べた限りでは、明治の末、子供が神隠しに合わないよう身代わりとして戸口の外に飾っていたかかしを、秋の実りの時期に獣害から稲を守るために田んぼの周りに集めるようになり、そのうちに集会所として使われていた古い肝煎屋敷の庭に誰ともなく立て始め、皆で愛でるようになったのが祭りの起源とされる。
ではそのかかしを作り始めるきっかけとなった「神隠し」とはなんだったのか。
最寄りの市立図書館で古い郷土資料を漁ると、この地域で神隠しの記述が出始めるのは江戸時代まで遡る。そしてそれは、決まって災害による不作や伝染病が流行った時など、何かしらの不幸に見舞われている時期と重なっていた。
明記こそされていなかったが、そこから推察できる事は1つだと彼は思った。
口減しを兼ねて、人柱が立てられていたという事。さらにそれが神隠しとして伝わっているという事は、ときに親族にすら無断で行われる場合もあったという事だろう。
自身の子を守るために他所の子を攫うことに加担、もしくは黙認する。すると今度はさらわれた家族が腹いせに…と連鎖していくものである。
神隠しの要因は、決してひとつではなかったのかもしれない。
また彼は、自身の祖父を始め、その老夫婦を古くから知る者たちに直接話を聞いて回った。
夫婦がまだ20代だった頃、2人は東京で暮らしていたらしい。
とはいえ、一面の焼け野原に闇市が広がる戦後間もない東京は、その日1日を生きるのにも苦労する場所だったそうだ。
病院はあったが衛生環境は最悪で、面会に来る見舞客の消毒すらまともにされない時代、ひとたび病気にかかれば、生き残れるかは運次第。それが子供となれば尚更だ。
夫婦の子供も、そんな中で亡くなってしまった。2人は消沈した。特に奥さんの憔悴具合はとても見ていられなかったと、後に旦那が語っていたそうだ。
このままここで暮らしていく事は難しいと判断した旦那は、奥さんの実家のある村に引越した。それが功を奏し、少しずつだが彼女も生気を取り戻して行った。
ところが、その村に夫婦が来て数年経った頃から、子供が夜に失踪するという事件が起こり始める。
住民たちが辺りを捜すと、奥さんがその子と一緒に布団で寝ていた、という事が何度かあったそうだ。
歴とした誘拐事件であるが、住民たちが強く咎めることは無かった。夫婦がやってきた事情を知る住民も多く、何より子供に特段危害を加えられる事も無かった為、大目に見ていたとも言える。旦那が強めに諭したため、やがてはそれも無くなった。
だが近隣の町では、その後も数年おきに子供が失踪し続けた。そして今に至るまで、数人の行方がわかっていない。
大学生は、これに旦那が何かしら関わっていると思った。
彼の祖父は、その旦那が奥さんを諭すときに繰り返していた言葉を覚えていた。
「あの子はもっと遠くにいるんだよ」
「いずれまた会えるから」
他人の子供を無断で連れてきてしまう程おかしくなってしまった人間が、言葉で言い聞かせたくらいで変わるだろうか。
いずれまた会える、そう聞いた奥さんはどう感じていただろうか。
人のおもちゃを欲しがる子供をなだめるには、代わりのおもちゃを与えるのが手っ取り早い。
旦那は、奥さんの誘拐癖を鎮めるため、近隣の町から子供を連れてきて、与えていた。
近所の人間にバレないよう、何かしらの方法で口を聞けなくして。
どんなに年をとろうが、奥さんの中で、我が子の年齢は変わらない。この先も変わる事はない。
だが連れてきた子供は年をとり、姿が変わっていく。いずれ自分の子でないと気付く。
そこで、奥さんに見えない所でその子を殺し、病気で死んだと嘘をつき、奥さんの目の前で火葬する。
子供は居なくなった、天国へ行ったんだと、早く気付かせるために。
だがしばらくすると、奥さんはまた我が子を捜し始める。
またダメだった。また、新しい子を連れて来なければ…
旦那も、もう随分前からおかしくなっていたのかもしれない。






















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