山深い集落の石畳が濡れて、瓦屋根に夕暮れの朱が滲むころ、私は故郷へ帰った。
本家の長男として生まれたが、町の暮らしは重く、大学のまま家に戻る気にはなれなかった。
それでも、祖母の訃報に、私は約十年ぶりにその土地を踏んだ。
実家の縁側に座りながら、祖母の口癖が甦る。
「八月二十三日の晩は、障子を開けたらいかんよ」
理由を問えば、祖母は笑って言ったものだ。
「そういうもんじゃ」。そういうもん――その言葉が、幼かった私の心にもどこかしみこんでいた。
その年の夏、葬儀が済んだ夜、父がぽつりと言う。
「今夜は、“あれ”が通る日じゃ。お前も覚えとれよ」
私は子供の頃の言いつけを思い出し、そっと天を仰いだ。
家中の明かりを消し、スマホもテレビも音を立てぬようにして、仏間に集まる。
扉も窓も閉ざされた間に、ひたとした静寂があった。
時計の針が二十二時を越え、そして──
遠くの山裾より、かすかに、しかし確かに――
「カラン、コロン……」
下駄のような音が、石畳を確かに踏む。
ひとつ、またひとつ。音の間には、何者かの息遣いが聞えてきそうだ。
私は立ち上がる寸前だったが、父がそっと私の腕を掴んだ。その力は重く、無言だった。
耳を澄ませていると、その音は障子のすぐ向こうで止まる。
私は――見るまいと思った。
父の無言が、言葉よりも重かった。
音はまた歩き出し、遠ざかる。
「過ぎたな……」父が呟いた声が、胸に響いた。
翌朝、川の畔で暮らす独り暮らしの老女の死が伝えられた。
「見たのだろう」と、誰も言わず、皆が目を伏せた。
私は、仏間の床の間に置かれた桐箱を見つけた。
朱色で、たった一字――「縁切」――と書いてある。
父は説明した。
「むかしの習わしじゃ。縁切峠に縁を断ちたい相手の名を書き、埋める。
その晩、“あれ”が通ると、その人の縁が切れるという。
姿を連れて行くのか、名前だけかはわからんが、大抵、その年のうちに村から“消えて”しもうた」























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