先天的に霊感がある、後天的に霊感が目覚めた。霊感の目覚め方は人それぞれだと思うが、私は元々霊感などというものは一切なかったと思う。
私がまだ小学一年か二年の頃だったと思う。その頃は夏になるとやたらと心霊番組をテレビで放送していたのだが、その中の一つの番組で「絶対にオーラが見えるようになる方法」という企画を放送していた。
いかにも霊媒師といった格好をした男性がオーラの見え方をレクチャーしてくれるというものだった。
詳しくはもう覚えていないが内容はこんな感じだった。
•まずは自分の手のひらをじっと見つめる。見つめていると手を透明のモヤの様なものが覆ってくるのでそれが見えるまでひたすら見つめ続ける。
•今度は鏡に映った自分で同じ事をする。同じ様に透明のモヤの様なものが覆ってくるのでそれをひたすら見つめ続ける。すると自分の輪郭がブレ始めジワジワと輪郭から色が染み出してくる。
もっと細かい工程があったとは思うが大体こんな感じの説明だった。
元々スピリチュアルな世界に興味も持っていた私はその日の夜からオーラを見る方法を実践してみた。
もちろん手を覆うモヤすらも見えなかったのだが、学校だろうが家だろうが暇を見つけては手のひらを眺め続けていると突然、手のひらの輪郭に沿って白い湯気のようなものがあがり始めた。
なんだこれ!と驚いた時にはもう手のひらからあがる湯気は見えなくなっていた。
これがオーラか!と興奮しながら次は姿見で自分の輪郭を同じ様に見つめた。
しかし手のひらの時の様にうまく行かず、少し体の輪郭がブレる程度しか変化しなかった。それでもオーラを見たいという気持ちが強かった私は、その訓練の様な事を数ヶ月続けた。
ある日、コツのようなものが突然掴めた。それはいつものように姿見で自分の姿を写しひたすら眺めていた時、突然目の前が薄暗くなる瞬間がある事に気がついた。よく霊感がある人がスイッチを入れるとか、チャンネルを合わせると言うがそれに近い感覚かもしれない。
私の場合はギターのチューニングを合わせる様にピントをゆっくりと輪郭から浮かびあがる淡いオーラの様なものに合わせるというのが感覚的に近い。
ひたすら自分の肩から頭にかけての輪郭を薄暗くなる瞬間が来るまでピントを合わせる。薄暗くなる瞬間が来たらそれを見つめ続ける。すると体の輪郭が真っ白く浮かび上がり、ジワジワと青や黄色、紫といった色がその浮かび上がった輪郭から染み出して空間に広がっていった。
見えた!興奮気味に目を見開くとすぐにピントがズレて見えなくなってしまう。しかしコツを掴んでしまえば簡単なものでものの数秒で合わせられるようになっていった。
そしてそれを続けて行くうちに歩いている状態でも出来るようになった。色までは判別出来なかったがすれ違う人間や歩いている人間の輪郭がぼやっと浮かび上がるのを見て楽しんでいた。
ある日の下校時、いつもの様にオーラを見る様にピントを合わせながら歩いているとふと、違和感に気がついた。
歩行者用信号機の下に人の輪郭の様なものだけが浮かび上がっていた。普通の人間から発せられる立ち昇る様なオーラではなく、ただそこにフワフワと浮かんでいるだけの人型のオーラ。
今まであまり気にしていなかったというのもあるが、よく見てみると商店街の隅に置かれたゴミ箱の横や自動販売機の横、電気屋のテレビコーナーの前、学校の教室や図書室の隅。いたる所にそのオーラが存在している事に気がついた。
そしてある日、興味本位でその人型のオーラの様なものにしっかりとピントを合わせてみようと思い、ほとんど居場所の変わらなかった学校の図書室にいる人型を見てみる事にした。
いつものように図書室の隅にいる人型のオーラの前に座り本を読んでいるふりをしながら凝視した。
普段よりも濃く輪郭がハイライトされていく。視界が狭まり徐々に薄暗くなっていく。更に濃くなった輪郭が少しずつ形を形成していく。
ハッと息をついて私はすぐにそのオーラから目を逸らした。心臓はバクバクと脈を早め手がガタガタと震え始めていた。
見えた。見えてしまった。
そのオーラにピントがあった瞬間。薄く透けた状態ではあったが、もんぺの様なものを見にまとった老婆の後ろ姿が見えた。
本当に存在していたのか。これを幽霊と言っていいのかどうかは分からなかったが不思議と怖いと言う感覚は無かった。
ただ普通の人の様にそこに立っているだけ。存在しているだけ。
見てはいけないものを見てしまったという罪悪感からなのかは分からないが、それから私はこのピントを合わせるという事をしなくなった。
だが一度見えてしまうと霊感が高まるのかは分からないが自動的にピントを合わせにいってしまうのだ。





















斬新!