子供の頃に体験した恐怖の首吊神社の云われ
投稿者:オリガミ (3)
今でこそ首都圏の郊外のある都市に住んでいますが、高校生の頃までは勿論、故郷というか田舎があって其処は福島県のいわき市内の古来から温泉でも有名な地域でした。 筆者の住まいは其の街外れの里山に近いのどかなところでした。
其処には大昔から地元でも有名な神社とお寺があって、昔は神社お寺とも一体になっていて、所謂、神仏習合の地とも言われていたところでも有りました。 お寺は愛宕山〇〇寺といい、当時までは観光寺でもあったらしいのですが今は地元のお墓を預かる檀家寺でもあり、山裾には多くのお墓があります。
一方、神社の方は金刀比羅系の神社で、何でも四国の琴平から遷宮さらた神社だそうです。 此方のお社はお寺さんよりの山頂部にあって、石畳の参道と急な石段を登った所にあります。 そして、我ら子供の頃はよくお寺や神社で遊んだものでした。 そんな事で遊び場が神社仏閣でもあったのです。 よく言われることにお寺と神社は何方が怖いところか、などと言われたいますが、筆者自身の体験としてはお寺は夜になっても何となく薄明るい雰囲気で、火の玉(魂)やボーーッとした明かりが墓石の上に現れる時があるとされていますし、案外、怖さとか恐ろしさは感じないものでした。
ところが、神社というのは元より、杉木立の巨木が鬱蒼としていて、それが参道から階段を経て本殿まで続いているのです。 特に本殿の周辺は周囲が杉木立や巨木で覆われていて、夜など数人で歩いていても、ゾクゾクするほどの恐怖を感じるところなのです。 よく言われることに、神社は神が鎮座しているところとされていて、神は福をもたらすと同時に厄災をもたらすともされていて、従って、普段の神は奥深いところで、静かに奥の社に居座ってほしいと願って、山の奥の方に所謂、鎮座してもらっているのだそうです。
そんな神社に我らが中学生の頃までは、よく「肝試し」といって所謂、付近に町民の子供たちが夏休みの一時に「度胸試し」といって、夜中の12時(実際には24時過ぎ)過ぎになると一人ずつ、参道から階段を登って本殿(実際は拝殿)に向かって、社の中に納めてある御札を頂戴してくるのである。 勿論、其のときには本当に神社の怖さというか、恐ろしさを目の当たりにしたものでした。
ところが、そんな時期に大事件が発生したのです。 神社の社というのは拝殿、そして回廊から本殿へと繋がっていて、其処にご神体が納められているのです。 この本殿の裏手である杉木立で、女性の首吊り自殺があったのです。 我ら子供はすぐに興味本位で駆けつけましたが、参道横の駐車場には救急車や消防車が何台か止まっていて、物々しい雰囲気であり、我らは参道横の山道を登っているときに、自殺者が担架に運ばれて下っているところを見てしまったのです。
其れは確かに、未だ若い女の人でした。 顔や上半身は布を被せられて見えませんでしたが、下半身には模様のある着物と真っ白い脛や足先が眩しいほどに見えてしまったのです。 そして更に、現場へいってみると、本殿の後ろでは現場検証のお巡りさんでしょうか、数人の方が現場の様子を伺っていたようです。 そして何よりビックリしたのは女性の腰巻きのような紐が杉の枝から風に吹かれてユラユラと揺れながら、未だにぶら下がっていたのです。 ああ、女の人はあの杉の枝からぶら下がって自殺したのだなあ、と恐ろしさを想像するに充分でした。
何でも宙吊り自殺の場ときは、絞首刑の場面の記録映画を見たことがあるが、自分の体重が支えきれずに首の骨を折りながら瞬間的に絶息するのだそうですね。 そんなことがあってからは、我らはこのような呪われた神社を、いつしか首吊神社といって、其れ以来は神社には近づかなくなりました。 其の理由というのは、神社の本殿から夜な夜な、うらめしやーー、金返せーー、子供を返せーーというような、泣き叫ぶような女の声が風にのって聞こえてくるというのです。
この金刀比羅系の神社というのは航海の神、漁業の神、商売の神と行って崇められ、毎年に亘って旧暦の1月10日(新暦では2月中旬ころ)、盛大に祭礼が行われ、参道から主要道路にかけては露天商や芝居小屋、お化け屋敷などが開かれて大賑わいであり、特に近郷近在の海の関係者たちはこぞって参拝するそうです。 しかし、首吊り自殺者が出た年度においては盛大な祭礼は中止され、神社関係者と神主のみで細やかに祭事が行われたらしいのです。 そして、今でもこの神社は呪わしい神社として首吊神社の別称として、知れ亘っているとも言われているのです。
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