会社から帰宅すると、ポストに一通の封筒が入っていた。黒い紙でできたそれは、異様なほど重く、裏にも差出人の記載はなかった。嫌な予感がしたが、無視する勇気もなく、部屋に持ち込んだ。
開封すると、中には一枚の写真と、小さなメモが入っていた。写真には、見知らぬ建物の前に立つ人物。だがその顔を見た瞬間、全身の毛が逆立った。
――俺だった。
髪型も顔も、服装すらも完璧に一致している。しかし、その顔はどこか、”死んでいる”ように見えた。無表情で、目だけが妙にぎらついていた。胸の奥に黒い針のようなものが突き刺さった気がして、思わず写真を落とした。
次に、メモを読んだ。
「この男に気をつけろ。彼は”お前”だ。」
背筋が凍った。これが悪質なイタズラであることを祈ったが、翌日から、異変が始まった。
朝、洗面所の鏡に映った自分の顔が、なんとなく違って見えた。目の焦点が合っていない気がした。顔の右側の口角だけが、ほんのわずかに上がっていた。それだけで、ひどく不気味だった。
会社に行くと、同僚の石田が話しかけてきた。
「昨日の夜、急に来て、何も言わずに帰ったけど……なんかあったの?」
「え?昨日?」
「ほら、夜10時ごろ。マンションの前で立ってたじゃん」
俺は昨日、会社からまっすぐ帰宅して、どこにも出ていない。
「……人違いじゃない?」
「いや、お前だったって。白シャツ着てて、無言でじーっと見てきてさ……。正直、ちょっと怖かったぞ」
話を聞くうちに、背中にじっとりとした汗がにじんだ。あの写真の男が、現実に動き出しているような感覚。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
次の日の朝、出勤しようとした時、ドアノブに違和感を覚えた。引いてみると、鍵が開いていた。昨夜、確かに鍵を閉めたはずだ。注意深く中を確認したが、何も盗られた形跡はない。ただ、冷蔵庫の牛乳が開けられていた。少しだけ量が減っていた。
その夜、部屋に小型カメラを仕掛けてみた。部屋の天井隅に忍ばせたそれで、一晩を記録することにした。そして翌朝、映像を確認して凍りついた。
午前3時24分。玄関がゆっくりと開き、誰かが入ってきた。男だった。顔は見えないが、背格好は俺にそっくり。男は靴を脱ぎ、真っ直ぐリビングへと向かう。そして、冷蔵庫を開け、牛乳を取り出し、ラッパ飲みした。
次の瞬間、男がカメラの方向を見上げた。
――俺だった。
目が、真っ黒だった。白目がない。真っ黒なビー玉のような目で、じっとこちらを見つめた後、ふっと笑った。そして、カメラに手を伸ばしたところで映像が切れていた。
その日から、俺は毎晩のように誰かに見られている気配を感じるようになった。夜中、ふと目を覚ますと、暗闇の中に”気配”だけがある。姿は見えない。でも確かに、誰かがそこにいる。息遣いすら感じる。
ある日、帰宅すると、部屋の中に知らない足跡がついていた。濡れた土のような汚れが、玄関から風呂場へと続いている。俺は誰も呼んでいないし、訪問者もいない。警察を呼ぼうとしたが、何かが怖くて通報できなかった。
ふと、鏡を見た。そこに映った自分の顔が、少しだけ違っていた。
顔は俺だが、”表情”が俺のものじゃなかった。
明らかに――”別の人間”のものだった。
それからだ。周囲の人間の態度が変わってきた。
上司に呼び出され、「お前、最近様子がおかしいぞ。夜中に意味不明なメール送ってきたり、会議で急に笑い出したり……疲れてるなら休め」と言われた。
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