――風で揺れる布のようだった。
――それとも、人のようだった。
海に戻ると、空はすっかり夜だった。
Cの姿はなかった。
波の音だけが、深く、静かに、満ちていた。
第二章:神の在処(かみのありか)
警察の報告は、簡潔だった。
「30代男性・C氏が海岸から離れ、森に入ったまま戻らず。目撃者は二名。
遺留品はサーフボードとウェットスーツ一式。森に足跡なし。」
佐原敬一は、その報告書を読みながら無意識に額に触れていた。
現職の警察官ではない。彼は「補助員」だ。
県の文化財保護課と提携した、民俗信仰や土着伝承に関わる「調査対象」の一次判定要員。
人が“理屈ではない何か”に触れたとき――佐原の出番が来る。
彼はその日、単身で表浜の海岸へ向かった。
⸻
風はほとんどなく、砂は乾いていた。
日中でも人影はまばら。
波は低く、だが何かを孕んでいるように、重く滑らかに打ち寄せていた。
AとB――事件当日の目撃者に会うことはできた。
Aはどこか虚ろで、話しかけても返事が途切れがちだった。
Bの方がまだ冷静だったが、彼の語る内容は――地図にない森、潮の音、祠――あまりにも現実離れしていた。
だが、佐原は「ありえない」とは思わなかった。
民俗の現場において、信じがたい話ほど“本当のこと”に近い。
⸻
Bの案内で、森とされる場所へ向かった。
不自然な小高い丘とその向こう。
確かに、そこには木々の影が連なっていた。
地図には何もない。航空写真にも何もない。
それでも、“ある”のだ。ここに。
佐原は木立に足を踏み入れた。

























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