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心霊

horiedonさんによる心霊にまつわる怖い話の投稿です

町の銭湯
短編 2024/10/06 23:15 411view

銭湯に行くと、身も心も温まりますよね。

これは、私が小さい頃に体験した、そんな銭湯での体験です。

今から二十年ほど前まで、私の住んでいた町に小さな銭湯が二、三軒ありました。どれも造りは似たような物で、入るとまず下駄箱が両端にあるので、靴を入れて鍵を抜き取り、上がると真ん中にカウンター、左右に男/女ののれんがかかっています。のれんの向こうはもう脱衣所で、その奥にある、すりガラスの引き戸の向こうが浴場になり、浴槽の後ろの壁に富士山と松の木が描かれていたのを未だに覚えています。古き良き昭和の銭湯の趣が、そこにはありました。

私はそこに母と一緒に行っていました。なんでも、母は幼い頃、この町の親戚の家に預けられる事がよくあり、その時に毎回使わせてもらっていた親しみ深い銭湯に、息子である私も連れて行きたいと思っていたのだそうです。一方で、父は銭湯のボロさを気味悪がり、付いてくることは一度もありませんでした。

そういう訳で、私は男の子でありながら、母に連れられて女湯に入っていました。子供ながらに、イケナイことをしている気はしましたが、母はいつも、ごく当たり前の表情で私の服を脱がして身体を洗ってくれ、まわりの女性客がそれを咎める事もありませんでした。

その日も、夕日の沈みかける頃、私は母に連れられ銭湯に向かっていました。銭湯は、大通りから脇道に入った、人通りの少ない路地に面しています。でも、その日はなぜか、物音ひとつ聞こえない程の妙な静けさが周囲を包み込んでいました。

銭湯の引き戸の前まで来て、様子がおかしいことに気づきました。扉は先客がいる時の様に軽く空いていましたが、玄関が暗くなっているのです。一方で奥の方では、蛍光灯らしき白い光がちらついていました。

私たちは一瞬立ち止まりましたが、母は「あれ、やってるのかな」と言いつつ引き戸を開けて中に入っていったので、私も後に続きました。

真っ暗な中、下駄箱を眺めましたが、鍵が一つも抜かれておらず、先客はいないようでした。上がると、カウンターの明かりの下にはお代を渡すおばあちゃんがいません。ただ、脱衣所の電気は点いており、お湯の流れるザーザーという音が聞こえていたので、浴場は使えそうです。

そこで、母は言いました。「ちょうどいいから、今日は男湯の方いってみなよ。もうひとりで入れるでしょ?」確かに、家族旅行のときは父と一緒の男湯でしたし、もう自分で髪と身体を洗うこともできました。ただ、この銭湯ではいつも女湯で母に洗ってもらっていたので、なんだか寂しい気もします。それでも、私は母の言葉に迷わずうなずきました。

ドキドキしつつのれんをくぐったところで、私は拍子抜けしました。脱衣カゴがどの棚にもなく、洗面台のドライヤーやティッシュまでが消えていました。浴場からは明かりが漏れ、お湯の流れる音が依然として続いています。床はホコリや髪の毛が散らかっていて、汚らしい感じでした。

何だか落ち着かない気分になってきた私は、靴下だけ脱ぎ、浴場の様子を先に見る事にしました。すりガラスの引き戸を開けると、あふれ出した湯気が顔を包みこみ、同時に、お線香の様なにおいが鼻先に漂ってきました。そして、奥に広がっていた光景が私を更に驚かせました。

浴槽いっぱいに、白いバスタオルがびっしり敷き詰められて浮かんでいたのです。水の揺れに合わせてそれらが波打つ様子は、今思い出すとまるで巨大な人間の素肌の様に生々しかったと共に、どこか官能的でした。浴槽の縁まで行って注意深く見てみると、浴槽のお湯は濁ってこそいなかったものの、いつもより緑がかった色をしています。すると突然、目の前で変化は起こりました。

ボコボコッという大きな音がして、緑色の大きな泡が、浴槽の中央に浮かぶタオルの隙間から立て続けに溢れ出したかと思うと、勢いを増し、ジャグジーの様に吹き出し始めたのです。泡の勢いがタオルを水面の端に追いやっていくと共に、泡の発生源にドス黒い何かが沈殿しているのが見えてきました。私はそれを眺めつつ引き戸のあたりまで下がりましたが、間延びしたゲップのような音を響かせて、泡の中央から、ぬっと真っ黒な人間の頭部が浮かび上がってきたところで、扉をバシンと閉めると一目散に母のいる女湯に向かって駆け出しました。

母は脱衣所にいました。私に気づくと「どうしたの」と心配そうに駆け寄ってきたので、私は泣きながら「ママ、こわいひとがいた」と訴えました。母は一瞬、両手で私の背中を上から包むようにしたかと思うと、無言で私の手を引いて下駄箱まで走り、靴も履きかけのまま二人で逃げるように飛び出したのでした。玄関を出る時に男湯の方から聞こえてきた、引き戸を開けるガラガラーッという音を思い出すと今でも震えが止まりません。

それからわずかで、その銭湯は解体されて更地になっていました。

ただ、母も私もそれを見て、寂しいね、とは互いに言いませんでした。

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