たけしおじさん
投稿者:セイスケくん (30)
これは、友人の知人から聞いた話だが、どうしても忘れられない、奇妙で、少し恐ろしい出来事だ。
康夫は私の幼馴染で、生真面目で何事にも一途な青年だった。彼は自分の信念を貫くことに人生を捧げているような男で、その誠実さから多くの人に信頼されていたが、少しお人好し過ぎるところもあった。彼にはたけしおじさんという叔父がいて、商売の腕は立つが、どこか胡散臭さが漂う人物だった。たけしおじさんには二人の娘がいた。長女の袈裟代は控えめで穏やかな性格だったが、次女の菊子は美しく、活発で、そして誰もが振り向くほどの魅力を持っていた。康夫はその菊子に惚れ込んでいた。
ある日、康夫は意を決してたけしおじさんのオフィスを訪れた。彼は私にも言わず、一人でその決断を固めていた。「菊子さんと結婚させてください! 7年間、一生懸命働きますので、どうか認めていただけませんか?」彼の声には揺るぎない決意が感じられた。たけしおじさんはその言葉を聞いてニヤリと笑い、すぐに康夫の申し出を快諾した。「7年か、それはなかなかの覚悟だな。いいだろう、約束するよ」と。康夫はその瞬間、安堵とともに未来への希望を抱いた。
それからの7年間、康夫は約束通り懸命に働いた。彼は休むことなく、たけしおじさんの会社のために全力を尽くした。そしてついに、その日が訪れた。結婚式の夜、康夫は胸の高鳴りを抑えながら菊子のベールを取った。しかし、彼の目の前に現れたのは、菊子ではなく袈裟代だった。彼は驚愕し、言葉を失った。
袈裟代は申し訳なさそうに目を伏せて言った。「ごめんね、康夫。お父さんが『こうしなさい』って…」。康夫は呆然と立ち尽くし、やがて怒りが込み上げてきた。「たけしおじさん、これは一体どういうことですか!?」声を震わせながら叫んだ。
たけしおじさんは平然とした顔で答えた。「うちの家では、妹が先に結婚することは許されないんだ。だから、袈裟代と結婚してもらうことになった。でも、どうしても菊子がいいなら、もう7年働いてくれれば何とかなるかもね」。たけしおじさんの言葉に康夫は絶望に打ちひしがれた。しかし、再びたけしおじさんの目に浮かんだ笑みが、彼の心に更なる暗い影を落とした。
康夫はその後もたけしおじさんの言葉に従い、さらに7年間、再び懸命に働いた。しかし、その7年間は以前のものとは違っていた。康夫は仕事に打ち込む一方で、心の中にどこか暗いものが広がっていくのを感じていた。それは怒り、悔しさ、そして何よりも裏切られたという思いだった。
そして、再びその日が訪れた。再度迎えた結婚式の夜、康夫は恐る恐るベールを取った。今度こそ、菊子がそこにいた。菊子は優しく微笑みながら「今度は本当に私よ」と言った。康夫はようやく念願叶って菊子と結婚することができたのだ。
しかし、何かが違っていた。康夫は結婚後も何か落ち着かない感覚に襲われるようになった。それは菊子との結婚生活が始まってからますます強まった。菊子の微笑みは確かに優しかったが、その目には以前見たことのない冷たさがあった。夜になると、彼女は時折、康夫をじっと見つめることがあり、その視線が彼に不安をもたらした。
康夫は再びたけしおじさんのオフィスを訪れた。「たけしおじさん、正直なところ…7年間も騙され続けてきたけど、少しは強くなった気がします」。たけしおじさんはニヤニヤしながら答えた。「そうだろう?人生ってのは、こうやって鍛えられていくものさ。時には神様と相撲を取るようなことだってあるかもしれないが…」。康夫は苦笑いを浮かべながら言った。「いや、神様よりたけしおじさんを相手にする方が、よっぽど大変でしたよ」。たけしおじさんは満足げに笑った。
しかし、その時、康夫はふとたけしおじさんの後ろにある写真に目を留めた。それは古い家族写真で、袈裟代と菊子が写っているものだった。だが、康夫はその写真に違和感を覚えた。菊子の目には、今の菊子と同じ冷たさが映っていた。さらに、その写真の菊子は、結婚式の日の菊子と同じドレスを着ていたのだ。康夫の背筋が寒くなった。
「たけしおじさん、この写真…これはいつのものですか?」康夫は震える声で尋ねた。
たけしおじさんは一瞬ためらった後、答えた。「ああ、それか。菊子が…結婚した時のものだよ」。康夫は耳を疑った。「結婚…?」康夫の頭の中で何かが崩れ落ちる音がした。
菊子は既に結婚していた。それも、自分とは別の誰かと。では、今の菊子は一体誰なのか?康夫は急に恐怖を感じ、菊子の微笑みが脳裏に焼き付いた。冷たく、感情のないあの微笑み…。
康夫は逃げるようにたけしおじさんのオフィスを後にした。家に戻ると、菊子が彼を迎えた。「どうしたの、康夫?顔色が悪いわね」菊子は心配そうに尋ねたが、その瞳の奥にはあの冷たさが消えなかった。康夫は何も答えられなかった。彼の中で、恐ろしい疑念が膨らんでいった。
それ以来、康夫は菊子から距離を置くようになった。しかし、菊子はますます彼に近づいてくる。康夫がどれだけ避けても、菊子は常に彼のそばにいた。その瞳の冷たさは、日に日に強まっていった。
ある夜、康夫は突然目を覚ました。隣に寝ているはずの菊子がいなかった。彼は不安に駆られ、家中を探し回った。すると、リビングで菊子が鏡の前に立っていた。彼女は鏡に映る自分の姿を見つめながら、微かに笑っていた。その笑顔は、まるで別の誰かがそこにいるかのようだった。
康夫は恐怖で動けなくなった。そして、その瞬間、菊子が振り返り、彼に向かってこう言った。「今度は本当に私よ、康夫」。その声は確かに菊子のものだったが、何かが違っていた。
その後、康夫はその家を出て行った。誰も彼がどこに行ったのか知らない。ただ、あの夜以来、彼の姿を見た者はいない。菊子は今もあの家で、一人、康夫の帰りを待ち続けていると言う。そして、夜になると、時折窓から外を見つめ、微かに微笑んでいるという。
友人の知人から聞いたこの話を思い出すたびに、私は康夫の愚直なまでの一途さと、たけしおじさんの狡猾さ、そして菊子の謎めいた存在に、ただただ恐怖を感じずにはいられない。しかし、これが本当に「良い人生経験」だったのかどうかは、康夫にしかわからないだろう。そして、それを確かめる術はもうないのかもしれない……
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