電車運転手 渡辺が視たもの
投稿者:とくのしん (65)
「“あれ”が視えるようになっちゃって。それが原因で運転手を辞めたんだよ」
渡辺さんは実に30年もの間、電車の運転手として活躍された方である。根っからの鉄道好きだったという彼は、物心ついた頃から電車の玩具で遊び、小学生になった頃には今でいう撮り鉄になったという。鉄道関連の高校に進学し、そのまま鉄道会社に就職した渡辺さんはその半生をこう語る。
「好きなことを仕事にできたことは本当に誇らしかった」
としながらも、渡辺さんはこうも付け加えた。
「“あれ”がなければ定年まで勤めあげたかったんだけどね」
“あれ”に遭遇するまでは、本当に順風満帆だった。念願だった鉄道会社に就職し、駅員から車掌になり、晴れて念願だった運転手にも成れたときが人生で最高の瞬間だった。だからこそ仕事が苦痛だなんて思ったことはない。それほど電車が好きだった。もちろん退職した今も電車は好きですよ。でもね、もう運転手としても乗客としても乗ろうとは思わないけどね。
話し手が電車の運転手ということで、“人身事故”を連想する方は少なくないと思う。
・・・そうお察しのとおり、これは“人身事故”に関連する私の体験談だ。まぁ電車の運転手をやっていると1度や2度は事故に遭遇することは決して珍しくない。動物との接触も含めれば、それなりの件数になってくるかもしれませんけどね。
思えば私が人身事故に初めて遭遇したのは、運転手になって2年目。上司や先輩に「そのうち遭うから覚悟しとけよ」なんて冗談めいた脅しはしょっちゅう聞いていましたけど、実際に遭遇したときのことは今でもはっきりと覚えている。
その日はどんよりとした曇り空だった。事故が起きたのは、とある地方の大きなターミナル駅でね。朝の通勤ラッシュの時間帯・・・この時間帯は本数も多いから、時刻には本当に神経を尖らせる。慎重に慎重を期して運転をしていたのだが、事が起きたのは・・・忘れもしない午前7時42分。
停車駅手前の踏切を過ぎたあと、減速する車内からはホームにびっしりと電車を待つサラリーマンや学生が並ぶ姿が見えた。そして駅構内に差し掛かったあたりで、ホーム最後尾付近の列に、白線を一歩越えてこちらを凝視する中年男性の姿があった。率直に「危ないな」と思った。ぶつかっても嫌だし、白線の内側に戻ってくれと思っていると、その男性は踏み出した足を白線の内側に戻した。「よかった」とほっとしたのも束の間、彼は電車に飛び込んできた。
「あ!」と思った瞬間にドン!て強い衝撃と、運転席のガラスがビシッ!って音が同時にしてね。「うわ!やっちまった!」と思った。緊急停車させたあと、すぐに指令室に対して無線で報告して。そのときの会話は、頭が真っ白だったのかあまりよくは憶えていない。駅構内で起きた事故なので、よく言われている事後処理は駅員や警察が対応してくれて、私は特に何もしなかった。
報告を終えたあと少しぼーっとしていた。飛び込んできたその人の最後の瞬間が、脳裏から離れなかった。不思議と・・・飛び込んだ男性の表情が思い浮かんだ。そのときの男性の表情が、鬼気迫るというかそれはもう恐ろしい形相だった。そんな表情の男性と私は最後に目が合ってしまっているからかな、それが強烈に鮮明に記憶に残っているんですよ。何十年も経った今でもね。そういうのは先輩に聞いていたけど、人間自殺するときは、あんな表情をするのかと思いましたね。同時に不可抗力とはいえ人を殺してしまったという罪悪感を覚えました。
でね、その後も何度か人身事故に遭った。でも不思議と慣れじゃないんだけど、最初抱いた罪悪感も薄れるというか気にならなくなるというか、酷い言い方だけど「面倒を起こしやがって」とすら思うようになっていく。元々、私が運転していた路線は人身事故が多いことで知られていたから尚更でしたね。とにかく事後処理が大変でしたから、そう思うのも無理はなかったのかもしれない。
それから私が50歳を過ぎたあたり、ベテラン運転手なんて呼ばれるようになっていた頃に、とある人身事故に遭遇した。そのときはいつもと様子が違った。
先程も話しましたけど、飛び込む人ってね、皆一様に向かってくる電車を見ながらなんですよ。でもね、その日見た人身事故は違った。
まるで誰かに突き飛ばされるようにその人は線路に落ちてきた。驚きましたよ。
時刻は22時手前、閑散としていたホームで男性が一人携帯を片手に電車を待っていた。電車が近付くと、その男性が急に誰かに押されたように体勢を崩してホームから転落したんです。周りには人っこ一人いない状況で・・・。
長いこと運転手やっていましたけど、あんな光景は初めてでしてね。一体あれは何だったのだろうと思っていたんですが、その2週間後にまた同じ駅で人身に逢いまして。今度は23時近くだったかな。ホームに進入するときに、ふと先日の人身事故が頭をよぎった。今日は大丈夫だよな、そう思っていたんですけど事故は起きてしまった。
若いOLが、何者かにまるで腕を引っ張られるように線路に落ちた。もちろん周りには誰もいない。その女性は腰を落として踏ん張って抵抗していたけど、最終的にはホームから落下してしまった。
こんなありえない人身事故、報告しようにもなかなか信じて貰えなくて。指令室にも警察にもありのままを話したんです。何が起きたかわからないと思いますが、ありのままを私は説明した。しかし最初は全く信じて貰えなかった。時間が時間でしたから居眠りしていたんじゃないかとか疑われました。
それならホームの監視カメラを見てみましょうという事になりまして。それを私も含め当事者で確認したんですよ。そうしたら私が言った通りに、周りに誰もいない状況下で、腕を引っ張られてホームに落ちる様子がはっきりと映っていた。
不思議なことってありますね。
怖かったです。
不思議
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とくのしん