そのタクシーの運転手は

ただ、Aに引かれて私が立ち去る際にちらりと振り向けば、運転手が怨めしそうに眼孔を光らせていたのを覚えています。

少し離れた場所でAが立ち止まると、Aは振り返り、タクシーが離れていくのを確認するや否や、

「○○さん、大丈夫ですか？」

と可愛らしい小顔を傾けるのでした。

「何が？」と問えば、Aは流暢に説明を始めます。
Aが同僚達とこれから飲みに行こうと談笑しながら歩いていると、ふと私を発見した同僚の一言で立ち止まったそうです。

「あれ○○さんじゃね」

「なんかトラブってない？」

A達から見た私は、道の路肩に停車したタクシー運転手と何やら言い争いをしているように見えたらしく、暫く成り行きを見守る事にしたと言います。
そうしていると、私が傍目から見ても困っているように見えたので、A達は私がトラブルに見舞われているならそれとなく仲裁に、運転手に言い寄られているのならそれとなく私を誘い出そうと考えました。
事実、私はある意味絡まれていたので非常に助かりましたが、私が事情を話すと「言い寄られている方とは」と苦笑していました。

その後、成り行きで本当にA達と飲む事になると、話題は私と運転手の話一色となり、これまでの内情を相談する事になったのですが、

「それマジでストーカーじゃないっすか」

「○○さん、完全に言い寄られてますよ」

「なんかあったら警察行く想定くらいしたほうがいいですよ」

などと、真面目な事を言われました。

帰り際にもAに「暫くはあのタクシー会社控えた方がいいですよ。それかクレームいれたほうが良くないですか？」と言われるも、報復なんかあればたまったものじゃないと弱腰の私は「考えとく」とはぐらかしました。

それから一週間ほど過ぎた頃、再びあのタクシー運転手が私の前に現れました。
今回は、Aも含めた部署の飲み会の帰り、上司が気を聞かせてタクシーを手配したのですが、そのタクシー会社が例の会社で、あの運転手が来たのです。

「〇〇さん、アレってこの前の人じゃないですか？」

さっそくタクシーを見つけたＡが私の袖を引っ張りつつも耳打ちで教えてくれました。
私は運転手の横顔を確認して心底嫌そうに「ああ、そうだね」と頷くと、そのタイミングで運転手がこっちを向いたので不格好な笑顔を張り付けて会釈します。

「タクシー乗る奴ーっ！」

私の部署の人でタクシーを利用するのは私を含め三人しかおらず、他は電車でした。
三人なら一緒に乗っても十分だという事で、上司は「ほら、待たせてるから」と私の背中をグイグイ押してきます。
そんな中、運転手と視線が合うと、どうにもその生気のない目が受け付けなくて、咄嗟に「ひっ」と屈んでしまったのです。

一瞬、上司が「どした？」と心配そうに屈んでくるのですが、そんな上司を押し退けてAが私の側に駆け寄ると「ああ、〇〇さん飲みすぎて気分悪いらしいんで、私の家に泊めますね。家近いんで！」と助け船を出してくれました。

そして小声で「〇〇さん、一先ず体調悪いフリしてここ離れましょうか」と言ってくれたので、私は一応先輩なのに情けなく「う、うん」と震えるように頷いては口許に手をあてがって気分の悪い演技をし、Aに往来の邪魔にならない店の壁側に移動させてもらったのです。

タクシーは私を除いた二人を乗せて発進していき、上司も「じゃあ、A、〇〇を頼めるか？それとも俺が家まで担ごうか？」と、私達が女だからセクハラで訴えられるのを警戒しているのか、どうしたらいいか分からずソワソワしていたところ、Aが「大丈夫ですから任せてください。家に着いたらちゃんと連絡するんで」と上司をやり込めていました。

そんな上司を見送り私達二人だけになると、Aは「あの運転手めっちゃこっち見てましたよ。まあ、〇〇さんの方でしょうけど」と怖い事を言い出します。
一体私があの運転手に何をしたのか。
それとも本当に私を狙っているのか。
考えただけでも頭痛がしてきて、本当に気分が悪くなってきました。