錆びた大きな自転車
投稿者:ねこじろう (147)
私は今年30になる平凡な独身女性です。
これは私が幼い時に体験した恐ろしい話。
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幼い頃を私は、九州北部の庶民的な下町で過ごしました。
物心つく時には父という存在はなくて、母は昼夜必死に働いてなんとか日々の生活を切り盛りしていたと思います。
それは小学校の低学年だった、ある春の頃のことだったと思います
授業を終えた私は、夕方に家に帰り着きました。
長屋形式の平屋建ての一つの玄関口から入るとただいまも言わず靴を脱ぎ、障子を開けランドセルをおろし炬燵に座って宿題をやり始めました。
炬燵の上には母が準備してくれていた晩御飯が置かれています。
母は朝になるとまず近くのオモチャ工場に出勤し、昼休みには一旦家に帰って私の晩御飯を準備し、それからまた工場で夕方まで働き、その後は歓楽街のスナックで夜遅くまで働いていました。
小一時間ほど炬燵の上で宿題と格闘していると、突然「ごめんください、誰かおるとね?」という男の人の声がしました。
びっくりして顔を上げると、狭い玄関口に男の人の黒いシルエットがあります。
今となっては無用心だったと思うのですが、当時私は玄関の扉に鍵などを掛けていませんでした。
黒いシルエットと言ったのは、強烈な西陽の逆光で眩しくて、そこに立っている男の人の姿がはっきりと見えなかったのです。
ただ病院の先生が着てる白衣のようなのを纏っていたことだけは今も憶えています。
男の人はそのまま続けます。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、大変、大変ばい、あんたの母ちゃんが工場で倒れて病院に運ばれたとよ。」
─え!?母ちゃんが?
私は慌てて立ち上がり玄関口まで行くと、男の人の大きな背中に従い一緒に外に出ました。
玄関の前の路上にはあちこち錆びた大きな黒い自転車があり、男の人は私を荷台に乗せるとサドルに跨がり、すぐに漕ぎだしました。
次々に後方に流れ行く夕暮れの街並みを横目にしながら私は「母ちゃんは、母ちゃんは大丈夫とね?」と必死に男の人の大きな背中に向かって尋ねていたのですが、何の返事もありません。
そしてそれからしばらくした時、私はおかしなことに気付きました
方向が違うのです。
病院や工場がある街の方とは真反対の山の方に自転車は向かっているのです。
「おじちゃん、おじちゃん、そっちじゃなか。
そっちじゃなかよ!」
背中に向かって懸命に訴えるのですが、一向に男の人は止まる気配がありません。
─この男の人は何処に行こうとしているのだろう?
私はだんだん恐ろしくなってきました。
やがて自転車は県道を抜けると、とうとう両脇に鬱蒼とした木々が迫る細い林道の中に入って行きました。
辺りは既に薄暗くなっています。
無事で良かったです。
子どもの頃、よく「知らないオジサンについていってはダメ。」と言われたものです。
車社会になり、家族に緊急事態が発生したから送るなどと偽り、いわゆる「連れ去り」事件が多発しましたが、当時を思い出し、ぞっとしました。
リアルな犯罪と思いきや、ラストは、心霊現象的な要素も匂わせる謎の事件に。いかようにも解釈可能な名作ですね。
怖いの意味が違う