疲れたサラリーマンが仕事帰りに起こした交通事故
投稿者:タングステンの心 (9)
これは、最近私が起こしてしまった事故に関する話です。
深夜も四時をまわって、むしろ朝になりかけている頃でした。車で一時間少々のところに通勤しているのですが、その日は夜遅くなって、あまりにも疲れたので運転の途中にコンビニの駐車場で仮眠をとったのです。そのおかげで、すっかり明け方近くになってしまったのでした。
細い県道を運転していた私は、左側の縁石に乗り上げる単独事故を起こしました。幸いにも明け方のことで、歩道にはだれもおらず、後続車もなかったので、運転していた私自身を含めてけが人はおりませんでした。しかし、乗っていた軽自動車はオイルが漏れ出しており自走も不可能なほど故障、パトカーや消防車を呼ぶちょっとした騒ぎになってしまいました。
これだけなら「疲れたサラリーマンが仕事帰りに起こした軽い交通事故」ということで片づきそうなものですが、実は話はそれだけではありません。
この事故は、近頃、私が繰り返し見るようになっていた奇妙な夢と関連があるように思えてならないのです。少し回り道になりますが、まずはその夢のことをお話しさせてください。
私は夢のなかで、決まって古めかしい玄関口に立っています。そこにあるのはすりガラスの引き戸です。鍵はかかっておらず、それどころか、隙間が少し開いていて、なかの様子まで覗いて見えます。
その引き戸を開けようか開けまいか、しばらく悩んでいるうちに目が覚める。見たことのある家のような気もするのですが、思い出せません。思い出せないうちに目が覚めるわけです。
何回か繰り返して同じような夢を見るうちに、はたと気づきました。ああ、悩んでいないで呼び鈴を押せばいいじゃないか、と。マア、誰のお宅かもわからないのに、確かにいきなり不躾にがらがらと戸を開けて「ごめんください」とやるよりかはいくぶん行儀が良いかもしれません。
それが何だかとても良い考えだと思った私は、思い切って呼び鈴を鳴らしてみました。ずいぶんと古い型の呼び鈴でボタンを押し込むと「ピン」、放すと「ポン」となりました。押してしまってから、何だかとんでもないようなことをしてしまったような気がして、急にそわそわしてきて冷汗が出るような気分になりました。
奥の方からひとの気配がします。
とんとんと軽い足音がして、すりガラスの向こうにゆらゆらと人影が歩いているのが見えました。
「はあい、どちらさんですか」
と、抑揚のない声が聞こえたかと思うと、細い指が四本、引き戸の端を引っつかんでがらがらと戸を開けます。それはガリガリに痩せた、老婦人でした。パジャマというよりは、病院の入院着にも見える淡い色の寝巻きを着ていて、短く刈り込まれた髪の毛は真っ白でした。六十半ばくらいでしょうか。家と同じく、この人物にも何だか見覚えがあるような気がするのですが、やはり思い出せません。
私は焦っていました。
夢のなかなのに奇妙な話ですが、頭ではどこか「これはまたいつもの夢だ」と思っていて、「いつもならそろそろ覚めるはずなのに、おかしいな」と思っているのでした。老婦人は目の前で明らかに怪訝な表情をして、こちらが何と言ってくるか待ち受けているようです。私はといえば何と言って良いかわからずに、曖昧な微笑を浮かべるくらいしかできませんでした。
「だあれ」
「あ、いえ、その、間違いました」
「だれなの」
「すみません。本当に間違っただけですから」
「だあれ」
「すみませんでした、こんな時間に」
太陽の光が薄ぼんやりとはしていましたが、辺りは仄暗い。なぜか夕方でなく、明け方なのだと思いました。
明け方に背広を着込んだ四十恰好の見知らぬ男が、呼び鈴を鳴らして玄関口に立っており、なにをするでもなくにやにやしているわけですから、冷静に考えれば、このご婦人にとっては恐怖だったかもしれません。
しかし、恐怖しているのはむしろ私の方でした。
このときには、老婦人の目にもうはっきりと敵意が浮かんでいました。「待て」と低い声で言うと、むずと私の左手首をつかみました。ぎりぎりと爪が私の手首に食い込んでくるのがわかります。夢なのに傷口はひりひりと痛み、見れば血が滲んできています。
「本当にすみませんでした!痛いです。放してください」
その痩身からは想像もつかないような物凄い力でしたが、私は何とか振りほどいて、路地の方へと駆け出しました。そのとき右の脇腹に痛みが走りました。追いすがってきた女が私の脇腹に爪を突き立てています。
「放して」
と大声を出して、私は女を地面に突き倒しました。脇腹がひどく痛みます。右手で押さえながら、私はどうにか家の敷地から出ようと路地の方を目指して進みました。逃げる途中、視界の左側、敷地の隅の方になにか石で造られた土台のようなものがあって、その足下になにかを壊したのであろう木材が散らばっているのが見えました。後ろの方から、地面に突っ伏したままの女がなにか言っているのが聞こえましたが、私はそのまま走って逃げました。
うわっという自分の悲鳴で目を覚ますと、そこは車内でした。疲れ切って自宅にたどり着くことさえなく、その日も私はまた車の中で眠り込んでしまっていたのでした。じりじりと照りつける太陽が、車内を蒸し風呂同然の状態にしています。嫌な汗で全身がべっとりとしていました。ああ、またやっちまったな、と思ったそのときに違和感を覚えたのでした。
タングステンさん待ってました!!
さすがの読み応えです。
これは不気味…
叔母さんの顔は確かめないままのほうが良い気がします
素晴らしい。食い入るように読んでしまいました。
最近このサイトでは犯罪などにまつわる少し捻った小説のような話が評価されてることが多かったので、こういったリアリティ溢れる本当の意味での怖い話が読みたかった。
それにしても他の投稿者の方とはレベルが違いますね。
他の投稿も読ませていただきましたがどれもレベルが高くて驚きました。
プロの方でしょうか?
こわいてすね。
夢の下りの部分、どっかで見たことあるんだよな
>夢のくだり
同じタングステンの心さんの過去の投稿「爪跡」ではないでしょうか。
以前の投稿との繋がりが感じられるのも憎い演出ですよね。
THE実話怪談って感じの展開ですな
変に小説染みた感じじゃなくてすんなり読める
そして純粋に面白かった
次回も期待
結構長いのにさらっと読めちゃうのすごい
もう少し時間が経って恐怖が和らいでから叔母様の遺影を確認してみてはいかがでしょうか
ホラーな描写少ないのに何故か凄く怖いと感じた
読んだ人に影響が……なんてないですよね
よく車中泊するんだが!
怖くなったどうしてくれる😠
何時始業かわからないけど、夜中まで仕事して1時間も車運転は、危ないですね。
猫の爪にはバイ菌が多いので、直ぐに消毒しましょう。
大賞にふさわしいですね
おめでとうございます
nice
上手くまとめられていて読み終わった後の恐怖感、満足感がとてもありました。
変に非現実感を出さずに非常にリアルな出来事、描写、繋がりが話としての完成度の高さを感じます。
過労死寸前のあなたを止めたかったのでは…?
読みごたえがあって満足感がありました。
迷惑な叔母だな
独特の語り口が怖さを引き立てますね。
ところどころのカナ表記が夢野久作の作品めいた雰囲気があり、そのせいで「信用できない語り手」をそこはかとなく感じさせるのも面白い。
祠や死骸の描写から、異常現象はコックリさんがトリガーなのは間違いない。
そうすると、叔母さんが死んだことで叔母さんへのまじタタリを終えたコックリさんが、その親族にもプチタタリをして回ってるか。
それとも、生前性悪+まじタタリで変なパワーを手に入れて悪霊化した叔母さんが、イタズラして回ってるか。