己斐峠・タクシーの運転手
投稿者:Low (2)
私は現在18歳で大学に通っている。
この怖い話は父から聞いた話だが、それは父が子供のころに体験した話だという。
私の父は一時広島の己斐という地域に住んでいたそうだ。
その町は高齢者が多く通学路にはイノシシが出るほど田舎の町である。
広島一事故が起きやすい名所として今は知られるほど急カーブが続く上に夜は暗くて見えないなど悪条件も重なり、ガードレールしか守られていない道のガードレールを突き破って深い崖の下へと落ちていく車がよく合ってお亡くなりになられる方が多くいたそうだ。
昔の人は神様への信仰心も厚く己斐峠の入りと出るところへはお地蔵さんがあったらしい。
しかし事故が起こった日には決まってお地蔵さんは倒れている。
最近の若い暴走族とかがたおしちょんじゃろーという話を父はタクシーの運転手に半ば冗談ながら聞かされていたそうだ。
人は都合よく神を信じ都合よく神を捨てる。
私のおばあちゃんでもある父のお母さんは小さい頃の父にそう言い聞かせていたそうだ。
父がだんだんと大きくなっていっていくにつれて父のお母さんは「夜の山には入るな。」そう父に言い聞かせていたらしい。
おばあちゃんに聞けば、己斐の山は夜何が襲ってくるかわからないからという意味で言っていたそうだが実際父の家も山に隣接していたためにイノシシが山を下りてきてガラスを突き破るということも起きていた。
街灯も少なくあたりが見渡せない。
それだけいろいろな意味で山に入って無事だという保証はなかった。
ある夏の日、父は友達何人かと夕方近くまで遊んでいた。
しかし夏ということもあったためか夜は肝試しと称して山の中に入るということをしていたらしい。
一回目は知り合いのお父さんが叱ってくれたそうで山に入ることはなかった。
しかし父を含む知り合いたちは肝試しをあきらめなかったそうだ。
お母さんにも何度か叱られたそうだが、子供ならではの好奇心であったりあの頃はヤンキーブームもあったせいかビビるという行為はしょうもない男だと自分から有用なもんであったがために引くに引けなかったのだろう。
父は何とかして頼んだけれどいつまでたっても親の許可は得られなかった。
もう打つ手はないとみて夏の終わりが近づいていたころにタクシーの運転手と出会う機会がありその話をしたという。
タクシーの運転手は快く引き受けてくれたそうだ。
しかし、先輩にも山に入ったことのあるという人は少ないからタクシーの運転手でさえも山は初めてだった。
八月の終わり親に見つからないようにこっそり家を抜け出した父はタクシーの運転手と知り合いを連れて山の中に入っていった。
懐中電灯を家から持ってきて入るけれどそれだけではあたりを正確に把握することはできないようなほど暗い山道を進んでいった。
山の中に一つのお地蔵さんがあった。
父たちは一つ礼して帰ったそうだ。
もちろん家に帰ったら親にも怒られたしどの家庭でもお母さんは怒っていたと聞いた。
しかし父たちはあのスリルを超えた自分たちを誇らしく思ったのだろうか。
もっともっと行きたくなってしまっていた。
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