敗者の席で見たもの
投稿者:庸一朗 (3)
都心から少し離れ、近所には公園やお寺がある古い雑居ビル、最上階の5階にこの会社はあった。給与はそこそこ頂けるのだが、今時は珍しく体育会系、いやパワハラとも言っていい厳しい会社だった。そんな会社で数字に追われる毎日では、メンタルをやられる社員が時々出てくるのも仕方のないことに思えた。
この会社のフロアの一角に敗者の席と揶揄される場所がある。雑多に積まれたファイルの山やプリンターが置かれた島に、他の社員と隔離されたような席が向かいあって2席、その内の窓際の席に一人、50代後半のおじさんが座っていた。Mさんは仕事ができない方ではなかったが、もともと上司と折り合いが悪く、家庭での事情も重なりメンタルに不調をきたしたようだ。「もうすぐ定年なのにMさんもついてないな」隣の席の先輩が言った。私達のいる席からは、向かいの島のMさんがよく見える。観察しているわけではないが、昔Mさんに世話になったという先輩は気にかけていた。
Mさんには特に重要な仕事は与えられておらず、一日中パソコンを見て過ごしていたが、時折、誰も座っていない向かいの席の一点を見つめ小刻みに震えていることがあった。「何か悪い薬でもやっているのじゃないか?」Mさんの奇行に心無い言葉も聞こえてきた。
ある日、Mさんが向かいの誰も座ってない椅子に手を合わせ、何かを拝むようにして震えていた。さすがに心配になり声を掛けた。「大丈夫ですか」Mさんは少し驚いた顔をして、「ん?何も」と急に我に返り、その後は何事もなかったようにパソコンを見つめていた。数か月後、Mさんは退職し会社を去った。
無理をしていたのだろう。体を壊し入院したことを機に、転職することにした私は、引継ぎと有給消化を済ませ、最後の出社日にMさんが居た、あの敗者の席に座った。初めて座ってみると、空調の吹き出し口がちょうど頭上にあり、風が強く当たる。皮肉にも、なかなか居心地の悪い上手く配置された席だと思った。向かいの席に、ふと目をやると黒い紐のような影が上に伸びている。ずっと見ていると、映像のように袈裟を着たお坊さんが急に浮かび上がった。黒く長い蛇を体に巻いたお坊さんが歯のない口でニタッと笑っている。金縛りにあったように固まった私はその時震えていたと思う。
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