街灯の下に落ちるもの
投稿者:すだれ (27)
短く返事をする間に手袋の横を通り過ぎる。ふと目線を前に向けた。アパートまでは一本道、点々と照らす街灯の下に。
物が点々と落ちていた。
「…何だこれは」
手袋、リュック、その先に落ちている物を確認しようと友人を置いて駆け寄った。後ろから制止の声が聞こえたが足は街灯の下に辿り着いた。ブーツの片方だ。サイズからして女性物。手袋の持ち主が落としたのか?街灯の下で一枚ずつ脱ぐように置いていったのか?次の街灯の下にあるのはおそらくこのブーツの片割れだろう。持ち主を彼女…と仮定するが、彼女は今裸足なのか?
渦巻いた思考のまま、ブーツに手を伸ばした瞬間だった。手首を思い切り掴まれた。友人が掴んで走っていると気づいた頃には引き摺られるようにその場から離れていた。勢いが強く、此方も手に持ってる買い物袋もお構いなしだ。
「ッ!?おい!揺らすと酒が泡立つ…!」
「言ってる場合か!!お前こそ何考えてるんだ!あんな血塗れのブツに触ろうとするなんて…!」
「は…?血塗れ…?」
「手袋も!靴も!「中身」あっただろうが!!」
深夜の住宅街だという事も念頭に置けないほど動転した友人の言葉が響く。血の気の引ききった顔、痣ができるのではと思うほど強く手首を掴んでいる手は大きく震えている。
街灯の方に視線が向き、此方の歩調が緩むのに気付いた友人が「見るな!!」と怒鳴る。慌てて戻す前の視線の先には、街灯に照らされた女性物のトレーナーが脱ぎ捨てられるように落ちていた。
駆け込むようにアパートに戻りドアにしっかり施錠した友人は、ひとまず落ち着かせようと此方が淹れた茶を素直に飲んでいた。帰路の一本道、友人が街灯の下に見ていたのは点々と広がる血溜まりだった。黒ずんで変色した手袋は人間の手ほどの厚みがあるように見えていたし、此方が触れようとしたブーツからは骨や筋の生々しい断面が血を滴らせていたという。ならばトレーナーは、と考えたが口には出さなかった。
「ちくしょう、何だってんだ、あんな、どうしろっていうんだ」
茶の入った湯呑を持つ手の震えは朝まで収まらなかった。心労が達しようやく眠ったのを確認して鍵と財布を持って部屋を出た。朝餉は消化の良いものがいいだろうとコンビニへ向かう。…のはついでで、昨晩は点いていた街灯の下を見て回った。友人の見た光景が「現実」だった場合は立派な死体遺棄事件で通報の義務が発生するから。しかし街灯の下には、友人の言っていた血溜まりも、自身が見ていた煤けた落とし物すらも存在していなかった。
(「成す術がない」んだ。避けられないし、何をしてやることもできない)
なるほど、「天災」か。
彼にとっては本当にいい迷惑だな、と思いながらアパートへと帰った。友人は起きていた。
「済まなかったな、取り乱して。手首大丈夫か?」
「構わない、むしろ自分はきっと助けてもらった方だ。…それより君、自転車のヘルメット新調した?」
「ん?いや、前から変えてないぞ。そこにあるハーフのやつ」
「そうか」
「あー…せっかく美味くて高いつまみ買ったのになぁ…」
「ある程度なら日持ちするだろう?置いていくからさ。酒も、美味く頂けるときに開けたらいい」
言いながら湯気の立つインスタントみそ汁を渡した。受け取った友人は一口啜って息をつく。昨晩より血色の良くなった顔色を見て安堵した。
この様子だと気づいていないらしい。帰る時、彼が止めている自転車のかごに、まだあの煤けたフルフェイスのヘルメットがあったなら捨てておこう。そういえば手袋もブーツもバイク乗りが身に着けるタイプばかりだったな、とぼんやり考えていると友人が怪訝そうな顔をしていて慌てて誤魔化す。正直触るのは気が引けるが、彼が見舞われずに済むならそれがいいだろう。彼にとって「中身」が詰まった天災でも、此方にとってはただのヘルメット(落とし物)なのだから。
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