御札の話
投稿者:埜威 (8)
私は小さい頃から不思議なモノが見える子だった。と言ってもたまに時々。そんな「時々」が「頻繁」になりだした高校生前後数年間の話をしたい
今は建て替えてしまったが、当時は祖父母が大工に頼んで建てた私の年齢と同じ築年数の一軒家の二階に一室だけある部屋が自室だった
ある日母が部屋に入るなり脚立を使い北の壁の向かって右側の箪笥の影に変な御札を貼った
何それ?と聞くと、お前の話を聞いた親戚が知り合いのお祓いや祈祷を生業にしている人から貰った物だと言う
親戚とは父の兄嫁で母はいつもこの伯母に意地悪されていて今回も断れなかったようだった
私の性質も父が実家で酔った時に喋ってしまったらしく呆れつつ母の話を聞いた
その祈祷師が言うにはこの部屋は鬼門に面しているので良くないモノが通る道になっている。その道を塞ぐ為の御札を書いてくれた。高校受験もあるからそれも祈願してだよ。と伯母が父を通して寄越したらしい
私は内心一部屋しか無いんだから鬼門もなにも無いだろう。と思いつつ親戚付き合いを円滑にする為と母の親心を無下にするのも悪いと思いそれを受け入れた。それからだ
毎晩ベッドの梯子(システムベッドだったので二段ベッドの上段を想像して欲しい)を誰かが登るきしむ音、顔を覗き込む視線や息遣いを感じたり。兎に角「頻繁」が「毎晩」に昇格した。それも同じ現象が毎晩続くのだ
勿論私も梯子の位置を枕元から足元に移動したり、枕の横にクッションを立ててベッドの枠外から顔が見えないようにしたり。とソレに対抗していた。
対抗していたら今度は少しずつ体調を崩し始めた
最初は痛みに気が付かず盲腸が破裂、次が極度の貧血、その次は原因不明の血尿が続き腎盂炎と数ヶ月入退院を繰り返し徐々に体力と気力がすり減っていった。私はベットに登るのも億劫で床に布団を敷き寝込むようになった
通学も車で家族に送迎してもらい這う這うの体。高校では部活(美術部)をやっていたが今見ると変な幾何学模様のような物ばかりだった。全く覚えていないので後日友達から聞いた話だが
ブツブツとお経のような聞き取れない言葉を呟きながら一心不乱に描いている事が多かったらしい
家では床に布団で寝るようになると、ベットを覗き込んでいたソレが今度は布団の周りをグルグル回るようになっていた
寝込む時は昼夜関係無く、爬虫類のような肌質の長い濡れ髪で顔の見えない女性のような姿で
小豆色の着物を着て、着物をズルズル引き摺るようなヌメヌメした動きをする
その布を引き摺る音に耳鳴りが重なり不思議で不快な音で眠ることが出来ず
体調が辛く寝込む日はウトウトした時、夜は毎晩寝入る時の意識が朦朧とした時に必ず来るので私は不眠症と鬱も発症した
自死も考える位どん底の精神に追い込まれて追い込まれて、初めて私はこの激しい変化の切欠はどこかに何かがあるのではないか。と考えた
あの頃の記憶は殆ど無いのだが今考えても何故もっと早く気が付かなかったのか
出した答えは「御札」だ
私はフラフラする体で脚立に登り、作法も方法も解らずその御札を毟り剥がした。その勢いで脚立から落ちて失神した
意識を取り戻すと私の手には毟り取った筈の御札は無くなっていて、灰のような埃のような物が手の中に残っていた。それを素人の浅知恵で日本酒と塩で洗った
それから憑き物が落ちたように私は見る見る回復していった。学校でも雰囲気が変わったと友達も増え
真っ当な絵を描くようになり、その方向の大学に進み、無事に就職し結婚。二人目の出産を控えた頃この話の裏側を知った
それは歳の離れた従兄弟の訃報だった。父の姉の息子。
だいぶ前から部屋に籠り海外から変な物を取り寄せたり、奇声を発して家族に暴力を振るったり、ボヤ騒ぎを起こしたりしていたらしい
が、それでも農家の長男なので大事に育て(周りから隠し)ていた
葬式は家族葬で親戚も参列不要。それでもと線香をあげに行った父が父の姉から聞いてきた話はこうだった
謎が多くてリアルで怖い
嫌な親族がいると大変だな