これは、祖母から聞いた話。
戦争が終わったのは、祖母が8歳の頃だったという。生年月日から計算してみると、確かに終戦時、祖母は8歳だった。
大人がみんな、ラジオの前に集まって、やたらチンチン言う放送を聞いて、泣いていたという(当然、ラジオ放送はいわゆる玉音放送で、チンチン言っていたというのは、天皇陛下が朕という一人称で話しておられたのが印象に残ったのだと思っ)。
なんで泣いているのか、ラジオは何を言っているのか、大人に尋ねたら、戦争、終わってんてぇ、ほんでな、もうB29も来えへんねんてぇ、と言っていたという。
戦争が終わって、B29は来なくなったが、GHQがやって来た。ジープに乗って、やって来た。GHQは一様に、クチャクチャとチューインガムを噛んでいた。
大抵の日本人よりもざっと一回りは大きく、肌も髪も眼も色が薄くて、気味が悪かった。ジープを遠巻きにして、半分は怖いもの見たさで眺めていると、一人のGHQが袋に手を突っ込んで、何かをまき散らした。
ジープが走り去ってから、まき散らされたものを見ると、当時珍しかった銀紙に包んだお菓子だった。チョコレートやチューインガム。祖母の友だちは喜んで、拾ったお菓子を取り合っていたが、祖母は手を出さなかった。いつもお腹をすかせていたし、甘いものは憧れの的だったが、自分が見下されているような気がして、どうしても拾えなかった。戦争に負けたからと言って、あんな奴らに従うものか、と歯を食いしばって我慢したのだという。
それからしばらくして、近所の子たちは、GHQを見ると、自ら、ギブミーチョコレート!とかギブミーチューインガム!とか叫んで、寄っていくようになった。祖母は空きっ腹を抱えて、苦々しい思いで、その様子を見ていたという。
日が過ぎて、大人も子どもも、B29が飛んでこない生活が普通になった。日が過ぎて、GHQが街中にいるのが普通になった。
そして、祖母が友だちと二人で学校から帰っていると、GHQのジープが駐まっているのが見えた。友だちはすぐに、ギブミーチョコレート!と叫びながら駆け寄っていったが、祖母は近寄らずに、凝っと見ていた。友だちが手にした銀紙がチラリと見えた。GHQが、祖母の方に、お菓子を持った腕を伸ばしてきたが、祖母は一歩か二歩後ずさりして、首を振った。
友だちが、あの子、お菓子いらんねんてぇ、いっつも取りやれへんねん、と言っているのが聞こえた。それに対して、GHQが何か言ったが、英語らしく、聞き取れなかった。
一人が、友だちをひょいと抱き上げ、ジープに乗せた。一瞬のできごとで驚いたが、友だちはケラケラ笑っている。手招きされたが、急に怖くなって、祖母はその場を走り去った。
夕方、家にいると、友だちの母親が訪ねてきた。泣きだしそうな顔をしていた。友だちが、まだ家に戻らないと言う。祖母は驚いて、その子がジープに乗せられた話をしたが、母親(私から見れば曾祖母)に、なんで、帰ってきてすぐにその話をしなかったのか、とえらい剣幕で怒られた。友だちの母親は、いきなり大声で泣きだしたのだという。小さかった祖母は困ってしまって、泣きながら、その時は、てっきり、ジープで家に送ってもらったのだと思い込んでいたのだと説明した。
友だちの母親をなだめながら送り返して、また戻ってきた曾祖母は、祖母に、あんた、行かんでよかったなぁ、と言った。
それ以来、その友だちは、今に至るまで見ていない。後日、祖母は、その友だちの母親が、高級な服(祖母いわく、別珍のえらいええ服。当時は、別珍という生地が最高級品だったのだそう)を着て、ちょっと顎を上げて、偉そうに歩いているのを見たが、その後、家族はどこかに引っ越していった。引越先も知らないという。
了
























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