トイレの住人
投稿者:燐 (2)
あれは何年か前の夏の出来事だった。
丁度お盆の頃だった気がする。
青森の実家に2.3日帰省して、都内の独り暮らしをしているアパートに帰ってきた。
「ただいまぁー」
誰もいないが、玄関を開けるとつい口が動いてしまう。もちろん、返答はない。
荷物を下ろし、移動に疲れた身体で、洗面所に手を洗いに行く。
その途中トイレに寄ると、私はショックを受けた。電気がつけっぱなしだったのだ。
日頃、節約のため、こまめに電気を消すようにしているのだが、
久々の帰省とあってうっかりしていたようだ。
深いため息を漏らしながら電気を消した。
バッグから洗濯物を取り出し、洗濯機に乱暴に押し込み、スタートボタンを押す。
それからソファーで横になりながら、テレビで夕方のニュースを観ていると、瞼が重くなり、いつの間にか夢の中にいた。
夢の中のはずだが、それはすごくリアルだった。場面は私の家の中だった。だが、そこは真っ暗で電気も点いていない。だが一ヶ所、光が漏れている場所があった。トイレだ。
私は暗闇の中を歩き、床の隙間から光の漏れるトイレのドアの前に立った。
恐る恐るドアをゆっくりと開けた。
するとそこには、全身ずぶ濡れの、青白い顔で苦悶の表情を浮かべた老人が便座に座っていたのだ。まるで水の中でもがくように、口で激しく呼吸をし、両手足をひっくり返った昆虫のようにバタバタと動かしている。
そしてその老人が私の存在に気が付いたのだろうか、顔がこちらを段々と向いてきた。
このままだと目があってしまう。
段々と私の視線と老人の視線が距離を縮めていく。
目をそらそうとしても、私の眼球はその老人の眼に吸い込まれていく。
やばい。目があったらやばい。
そしてついに私の視線と老人の視線が交わった。
いや、正確には交わってはいない。
老人の目がある場所には眼球はなく、ただそこには2つ丸く深い闇が広がっていた。
その瞬間、私は勢いよく飛び起きた。一瞬、夢なのか現実なのか状況がつかめなかった。
だが、テレビから聞こえる明るい笑い声が、今の状況が現実だと教えてくれた。
部屋の中はすっかり暗くなり、テレビの明かりだけがチカチカと部屋を照らしていた。
Tシャツの裾で、汗で濡れた額を拭う。暑さとは関係のない汗が大量に混ざっていた。
目を閉じると瞼に夢の中いた老人の顔がフラッシュバックした。
先程の夢は何だったのだろうか。あんなにリアルな夢を見たのは初めてだった。
しばらく脳裏に焼き付いている夢を思い返していた。
そして私はあることに気づいた。今のこの部屋の状況が先程の夢の状況と酷似しているのである。
私は恐る恐るトイレのある背後を振り向いた。
そして私の身体は金縛りにあったように硬直した。
トイレのドアの隙間から明かりが漏れていたのである。
全身に鳥肌が走る。心拍数も沸騰したかのようにどんどん加速していた。
「まさか・・・」
あれは夢だ。さっき消し忘れただけだ。ただそれだけだ。
そう自分に言い聞かせ、静かに近づき、トイレの前に立った。
大丈夫。玄関の鍵も閉まっているし、誰も入れる訳がない。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
私は音を立てないように、静かにドアを開けた。
そして少し空いた隙間から中を覗いた。
そこにはいつもと同じ、誰もいないトイレの空間が見えるだけだった。
「なんだよ・・・」
安堵して深い息が漏れ、私はドアを閉め電気を消した。
その瞬間、
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