人間も生物である以上、そのセンサーが有り、そのセンサーがあらゆる情報から「危険」と判断すると、危険信号が偏桃体に送られ「直感的に嫌な感じ」を感じるのかもしれません。
しかし、それだけでは私の永遠感覚は説明がつきません。
なぜなら危険を察知するのではなく「とりあえずっ困ったことになるが結果的には、より良い結果が待っている」というサインだからです。
そんな状況予想を察知するセンサーなどあるとは、とても思えません。
女房には、この感覚の事は話しましたが、他の人には一切、言っていません。公開するのは、これが初めてです。
何故なら「どういう感覚なのか」を言葉で説明するのが非常に難しいことと、誰にでも起こるものとは、なんとなくですが、思えないからです。
実に不思議ですが、この永遠感覚のおかげで私は、これから起こる何か不都合な事態に備えることができ、かつ、その困った事態に対応した結果は従前より、より良いものになる、という確信を持てるのです。
何故、私にそんな現象が起こるのか、考えてみたことがあります。
私は何かの宗教の信者ではなく完全な無神論者です。ですので「神様が助けてくれた」などというつもりは毛頭ありません。
ただ「人間も自然界に生きる生物の一種類に過ぎないものであり、決して特別な存在ではない」という考え方の持ち主であり、しょせん人間も自然という壮大な物の掌の上の小さな存在に過ぎない、という考え方をしています。
つまり自然界からみたら「人間の中でも比較的、謙虚な考え方の持ち主」と映ってもおかしくないのです。
となると、私の現象は、自然界が授けてくれた「良くできました」のスタンプのような物なのではないか? とも考えたこともあります。
しかし、そんなことが本当にあるでしょうか? 私はエネルギー保存則やe=mc2が正しいと信じる、がちがちの唯物論者であり、唯心論や輪廻転生など有り得るはずがないと確信しているような人間なのです。
しかし、そんな唯物論者の無神論者の私でも不思議なことですが「何となく、こっちがいい」と直感的に感じた時には、そうした方が良い結果が得られる、と根拠なく信じ実施しています。
人間も生物である以上、まだ知られていない「第六感」はあるかもしれない、でも人間は愚かだから、それに気づかない、という事にして自分の中では納得しています。
そして、それでよいのだ、と思っています。
何故なら私も人間であり「愚か」であるからです。愚か者に何かが分かるはずは無いのですから。
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