1994年9月15日。
私は小学6年生で、それが小学校生活最後の遠足でした。
6年生の役割は、1年生と一緒に近くの山を登り、遊んでやり、拾ったどんぐりで工作をして、一緒にお弁当を食べること。
正義感や母性を求められるその時間が、私には苦痛でしかありませんでした。
1年生が「見て見て!」と泥だらけの手で差し出してくるどんぐり。なんと返事をしたらいいのか分からず、「わぁーすごい!!」なんて白々しいリアクションも取れない私は、いつも冷めた声で「……頑張ったね」とだけ返すのです。
さらに困るのは、蠢く虫を見せられた時。ぎょっと胸が冷えるものの、口から出るのは「自分で捕まえたんだ……」という乾いた一言だけ。感情を表に出すのが極端に苦手な私にとって、その場に漂う空気のすべてが、ただただ鬱陶しく、退屈な時間でしかありませんでした。
帰り道も、歩く足取りは重いままでした。
列の一番最後、引率の先生よりも後ろをだらだらと歩きながら、「結局、何一つ面白くなかった」と不機嫌を噛み締めていました。
途中で1年生が順次解散していく中、6年生だけは学校まで戻り、普段通り終わりの会を受けなければなりません。面倒くささと徒労感。それに加えて、帰宅後には「遠足の感想文」という課題が待っています。書くことなんて何一つない。そう思いながら、俯いてアスファルトを見つめて歩いていた、その時――。
キギーーーーッ!!!!!! ドォーン!
鼓膜を切り裂くような摩擦音と、鈍く重い衝突音。
視線を上げた瞬間、視界の端で「何か」が真上に跳ね上がりました。
え? と思う暇すらありませんでした。
引き引き伸ばされたスローモーションのような時間の中で、人間がふわリと空に浮き、生々しい音を立てて地面へ叩きつけられる瞬間を、私は真っ正面から見てしまったのです。
交通事故でした。目と鼻の先で起きた、惨劇でした。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、全身の血が引いていくのが分かりました。助けなきゃ。誰か叫ばなきゃ。あまりの恐怖に震えながら、私は必死で引率の先生の服の裾を掴みました。
けれど、先生は事故など最初から存在しなかったかのように、冷たい手で私の背中を強く押し、「急ぎなさい」と低く呟いただけでした。周囲の大人も、他の児童も、誰も彼もが不自然なほど静かに、見て見ぬふりをして通り過ぎていきます。狂気のような違和感の中、私たちは学校へと連れ戻されました。
教室に着くと、担任は何事もなかったかのように「家に帰るまでが遠足だぞ」というお決まりの言葉を口にし、私たちを解散させました。
(流石にもう、誰もいないよね……?)
本当に最悪な遠足だった。そう自分に言い聞かせながら、重い足取りで来た道を一人引き返しました。
けれど、事故現場の近くに差し掛かった時、私の足はぴたりと止まりました。
まだ、赤色灯を狂ったように点滅させた救急車が停まっていたのです。
ストレッチャーに乗せられ、運ばれていく「それ」。
すれ違いざま、白い布の隙間から、血走った眼球がギロリと私を睨みつけたような気がしました。
恐怖で金縛りにあっていると、集まっていた野次馬の低く濁った声が聞こえてきました。
「……もう、駄目だろうな」
その瞬間、冷たい罪悪感がぬっと胸の奥から湧き上がってきました。
もしあの時、私がなりふり構わず大きな悲鳴をあげていたら。せめて「119番して!」と先生に噛みついていたら。あの人は、助かったのかもしれない――。
救急車が走り去った後に残されていたのは、原形をとどめないほどひしゃげた自転車と、フロントガラスが蜘蛛の巣状に割れた車。そして、黒ずんだ粘り気のある大きな血溜まりと、それを無感情に調べる警察官だけでした。


























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