「お母さんの話ばっかりしてきた」
「え?」
「お母さんって優しいよな、とか」
「お母さんは昔からああなの、とか」
「お母さんと内緒にしてること、ない?とか」
私は「なにそれ?」と笑って済ませようとした。
でも、弟は少しも笑っていなかった。
「それに……」
弟は震える声で続けた。
「赤信号で待ってる時、お父さんが急に僕の肩を押したんだ」
私の心臓が止まりそうになった。
「押した……?」
「うん。でも車は来てなかった」
弟は慌てて首を振る。
「わざとじゃない、と思う」
そう言って笑おうとしていた。でも、その笑顔は引きつっていた。
翌日、私は父の書斎へプリンターを借りに入った。
机の上には、一冊のノートが開いたままだった。
普段なら見なかったと思う。でも、目に飛び込んできた一文から視線を逸らせなかった。
『あいつさえいなければ』
その下には、何度も消して書き直した跡が残っていた。
『俺はおかしい』
『違う』
『違わない』
そして、その下には母の名前が何度も書かれていた。
『〇〇は俺のものだ』
『〇〇を返せ』
『〇〇を返せ』
〇〇は母の名前だ。最後のページには、紙が破れそうなほど強くボールペンを押しつけた跡が残っていた。
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