「大丈夫? 顔色もあんまり良くないよ」
「平気平気。ちょっと調子悪いだけ」
私はそう言って、意識的に笑ってみせた。話を変えるように、次の話題を振った。恋人はそれ以上深く追及してはこなかったけれど、その一瞬、こちらを見る目に、納得しきれていない色が浮かんでいるのがわかった。
私は、頭の中の声のことを、誰にも話すつもりはなかった。話せば、自分がおかしくなったと思われる。それだけは避けたかった。
けれど本当は、それだけが理由ではなかった。
話してしまえば、頭の中のあの声が、本当に「別の何か」として確定してしまう気がしたのだ。曖昧なままにしておけば、まだ自分の中の出来事として、自分でどうにかできる範囲のことのように思えた。
## 五、鏡の中
異変が起きたのは、洗面所だった。
歯を磨きながら、何気なく鏡を見た瞬間、鏡の中の自分の顔が、一瞬だけ、自分のものではないように見えた。輪郭も、髪型も、着ている服も同じはずなのに、そこに映っているのは、見知らぬ誰かの顔をした自分だった。
まばたきをすると、それはすぐに元に戻った。いつも通りの、見慣れた自分の顔がそこにあった。
けれど、その一瞬に見た顔には、確かに見覚えがあった。実家の仏壇の脇に飾られていた、色褪せた写真の中の少年の面影と、どこか重なっていた。
その週末、私は居ても立っても居られず、実家に電話を入れて、また帰ることにした。
実家に着いて、居間で両親と向き合うと、私は思い切って、ここ最近のことを話した。声が聞こえること。時々、鏡の中の自分が違う顔に見えること。それが、昭一お兄ちゃんに関係している気がすること。
話し終えると、居間には奇妙な沈黙が落ちた。
母は、困ったような、それでいてどこか嬉しそうな微妙な表情を浮かべて、こう言った。
「そう、昭一もようやく、あんたと話せるようになったのねえ」
私は言葉を失った。
父も、それに頷きながら続けた。
「よかったじゃないか。ずっと、お前とちゃんと話したがってたんだから」
二人とも、私が異常を訴えていることに対して、まるで驚いていなかった。むしろ、待ち望んでいたことがようやく起きた、とでもいうような、安堵した表情だった。
「話したがってたって……お母さん、お父さん、それ、おかしいと思わないの?」
私の問いに、母は小さく首をかしげただけだった。
「おかしい? 何が? 昭一が、あんたの中に戻ってきてくれた。それだけのことじゃない」
その言い方に、私は背筋の芯が凍りつくのを感じた。
「戻ってきた」
まるで、それが最初から予定されていたことのような、当然の帰結だったかのような口ぶりだった。


























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