――語り手:ノンフィクション作家・西山 望(仮名)
「死者のことを書くと、死人が寄ってくるよ」
これは、私がかつて取材中に耳にした言葉だ。
ある老人が、ぽつりと、夕暮れの寺でそう呟いた。
当時は聞き流したが――今なら、わかる。
私はこの原稿を、間に合うかどうかわからないタイミングで書いている。
いや、「私」ではないかもしれない。
何を書いても、あなたが読む頃には、もう私は存在していないのだから。
その村の名前は伏せる。
某県某郡、過疎の進んだ山間部の集落だ。ダム建設で水没した、とされている。
取材の発端は奇妙な投書だった。編集部に届いた茶封筒には、黄色く変色した新聞の切り抜きと、ボールペンで走り書きされたメモが一枚。
「ここでは、“自分の遺体”を見た者が死ぬといいます」
切り抜きは1977年の日付の地方紙。「林道脇で白骨死体 自殺か」という見出しと、地図のようなもの。
だが、よく見ると、地図の“川”に水色のペンで「×」が書かれている。
下には小さく、「逆」とある。
私はこの投書をきっかけに、その村――仮に「逆村(さかむら)」と呼ぶ――を訪れることにした。
現地には、旧住民らしき老人が数名だけ戻ってきていた。
最初に会ったのは、元区長の岩淵氏。
応対こそ丁寧だったが、件の新聞記事について尋ねると、明らかに話を逸らされた。
「遺体? ああ、ダム工事で骨も出たかもしれんがね、あれは……鹿とか、猪とか、そういうもんだよ」
しかし、取材を続けるうちに、別の老人がぽつりとこんなことを言った。
「“川を逆に流れた者”が、戻ってきたんだよ。死んだ自分を見たんだろうなあ、あれは」
意味不明だった。
だが、件の“逆”という文字。川に書かれた「×」の意味。
これは単なる方角の誤記ではないのでは――?
そしてある夜、私は村の神社跡地で奇妙な「木札」を見つける。
それは朽ちかけた鳥居の根元に打ち捨てられており、こう書かれていた。
「●年●月●日 ○○○○、自分の遺体を見る 禁」


























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