—
以上が、友人から聞いた小学生の頃の話だ。
起きていても寝ていても夢を見ておりその切り替わりがもはや分からなくなっていたようだ。
早朝に玄関外の犬小屋の隣で寝ていた友人をご両親が発見し、念の為検査入院させ、睡眠外来にも通ってその後は問題なく過ごせていらしい。
友人自身もやりすぎたと反省し、その後は生活リズムを整え夢についても深入りしないようにしたとのこと。
ここで話の冒頭に戻る。
不意に鳴り響いた目覚ましのベル音で、忘れていた記憶がフラッシュバックし、不安に駆られ俺に相談したとのことだった。
当然解決策なんて検討がつかず、話を聞いてやることしかできなかった。
とにかく卒論を終えるまでは目覚ましについて何も考えないこと。
卒論提出後に十分に寝て、それでもまた聞こえてくるようであれば心療内科へかかることを勧めた。
友人は納得した表情ではなかったが、従うことにしてくれたようだ。
彼が納得しなかった理由も、本当に相談したかったことも、何故言い出せなかったのかも想像がつく。
“目を覚ますべきか否か”
結局のところ、彼にとって重要なことはこれなのではないかと思う。
徐々に間隔が狭まるベルの音、それが次に聞こえたとき、どうすべきなのか答えが欲しかったのだ。
過去と同様に夢に呑まれているのなら、起きなければならないとでも思っているのだろう。
であるからこそ、俺という夢の中の住民かもしれない存在に対し彼にとっての現実かもしれない世界の話を相談しても意味がないわけだ。
ひとつ、起きていて正常な意識を保っているのか
ふたつ、起きていて夢を見ているのか
みっつ、寝ていて夢を見ているのか
目覚ましのベルが聞こえたことで
自分がどこにいるのか分からなくなっている
おそらく、三つ目まで想像しているのだろう
非現実的なことが起きていないのだから、ここが現実なんだと言うのは簡単だ。
しかし彼の過去の話と同じだとすると、非現実的なことが起きても非現実的だと自覚できない状態にあると考えているはずで、意味がないのだ。
自覚できるのは夢が覚めてからの話なのだ。
彼はきっと小学生の頃に既に壊れていたのだろう。
そんな彼が納得する答えを俺は用意できないし、
俺にとってはこの世界こそ現実なのだ。
友人だった彼とはそれっきりだ。
卒業はしたはずだが式には参加していなかったし、一度も連絡がない。
もう何年も前のことだ。

























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。