「こないだおらんようになった三郎がかえってきた、じゃから三郎と毎日あそぼうとみんなで決めたんじゃ」
子供の母はその言葉を聞き、手を合わせてこう諭しました。
「三郎ではない、あの方はひる様じゃ。ひる様とお呼びして、ひる様の求めるままに遊びのお相手をするんだよ」
この村では大人と言えど、かつてはかんわら様と呼ばれていたのです。それは村での暗黙の了解でもありました。
ひる様が神社におわす間、大人は本殿に入る事を禁じられました。
本殿に上がってよいのはかんわら様のみです。
神社の本殿に上がり込み、ひる様の遊ぶお姿を見てしまった大人は、ひる様のお怒りに触れて祟られ、女であれば子を産めなくなり、男であれば生涯海に出られぬ体になると伝えられておりました。
この寂びれた村では、女が子を産めぬのも、男が漁に出られぬのも死活問題です。
故に、大人は決して本殿に入る事はなく、ただただ手を合わせて祈りを捧げたのでございます。
そうして短ければ数ヶ月、長ければ数年を村で過ごした後、ひる様は正月一日にお姿を消してしまいます。
その前日、大晦(おおつごもり)、かんわら様である子供達は神社の本殿でひる様のお声を聞くのだそうでございます。
『これでしまいじゃ、ととさま、かかさまに、ようようもうしわけがたつ』
こう言葉を残されて、翌日を迎えるとひる様は旅立つのだそうです。
ひる様として村に戻った亡くなった幼子が、数えで七歳となる正月までの間、村に富をもたらしていくのでございます。
ひる様はお骨すらも残さずに消え、神様の元へとお帰りになるそうです。
神社ではひる様のお帰りをお祝いする祭を元日に開き、村を豊かにしてくれたお礼を述べたのだとか。
――かんわら様としてひる様の言葉を聞いた子供達は、生涯頑健にして、良く子宝に恵まれたといいます。
子供達は長じるにつれて気付きます。
それが、人間になることなく神のうちに亡くなってしまった幼子の、せめてもの親孝行であることを。
神様は幼子の想いに応えて、神のうちにいる間だけ、この世で過ごす時間を与えて下さっているのだと。
今となっては、この村は漁を止めて久しく、静かな浜辺の街となりました。
かつてのかんわら様、ひる様信仰も、いつの頃よりか絶えてしまったそうです。
それは子供達が健康に育つことが出来る時代になった事と、決して無関係ではないでしょう。
ですが、時折。
幼子を見かけると手を合わせて微笑むご老人がいらっしゃるそうでございます。
























よくわからん。さよなら
ほんまにありそう
たまこ