早朝、僕はわざわざ少し遠回りをして、堤防沿いの道を歩いていた。
台風の翌朝は、空気が入れ替わったようで好きだ。
大雨が去って時間が経っても、まだ街は濡れたままだった。アスファルトにはところどころ小さな水たまりが残っており、風が吹くたび、家々の壁に貼りついたビニールや枝葉がパタパタと音を立てるのが心地よかった。湿った匂いは残っていたけれど、空気は澄んでいて、さっきまでの寝起きのだるさが胸の奥から抜けていくようだった。
台風の後は、見慣れた景色に異物が混ざる。根本から倒れた街路樹が近くのフェンスに寄りかかっていたり、どこかの看板が逆さまになっていたりして、そんな非日常の名残りがたまらなく好きなのだ。
もちろん、こういう感覚が不謹慎なのは理解しているつもりだ。
災害で大変な思いをする人は間違いなくいるのに、自分はその爪痕を観察して喜んでいる。まるで不幸の見物人みたいだ。
でも、それでも、目を奪われてしまうのだ。
日常の皮が一枚めくれたあとに残る、剥き出しの街。
そこには、いつもの風景では味わえない「変化」がある。
僕にとっては、それが、どうしようもなく魅力的なのだった。
そんな僕に作業服姿の中年男性が声を掛けてきた。
着古した作業服からは、土埃のような匂いがした。
見覚えはないが、どこかの業者だろうか。だが、目が合った瞬間、なぜかこちらを知っているような表情を浮かべたのが気になった。
「○○さんですよね?」
男から発せられた名前は、ノイズがかかったような感じがして、はっきりと聞き取ることはできなかった。けれど、僕は直感的に二つのことを感じていた。
一つ目は、その名前が僕のものによく似ていただろうということ。
二つ目は、男の質問にイエスと答えてはならないだろうということ。
僕はすぐさま首を横に振った。男は「あれ?」と曖昧に笑い、意外にもすぐに引き下がった。
「すみません、似ていたもので……」
男はそう言うと、そのまま何処かへ消えていった。
似ていた…?
その時点では、それだけのことだった。
数日後、同じ道を通った。倒れた街路樹は撤去されていたが、フェンスの一部はまだ歪んだままだった。
ふと、目についた掲示板に、紙が一枚貼られていた。
《迷子の犬を探しています》
下には名前と電話番号が書かれていた。
――○○
驚いた。
そこに書かれていた名前は、僕のものにとてもよく似ていた。だが、全く同じではない。漢字が、少しづつ崩れていて、まるで異国の文字を見ているかのような感覚に襲われる。
ごくり、と生唾を飲む音が聞こえる。目を離すことができない。あの日、作業服の男が発した、ノイズがかかったかのような奇妙な名前が脳裏をよぎった。
























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