「アレ。落語」
そこで初めて、私はKの指す「落語」が私と異なる事に気づきました。
部屋の前に、女性が立っていました。
念仏のように流れていく朗読の声、それを襖一枚隔てたところに、立っていました。
母親かと思いきや、様子もおかしいのです。首を直角に左へ傾げ、つま先がぐいと内側に向いており、ともかく尋常ではない。
目が離せなかったのは私だけのようで、Kは「ね、ね、いるでしょ」と小声で笑っています。反射的に息を殺して見つめていると、ふと朗読の声が途切れました。
多分、区切りの良いところまで読み終わったのでしょう。
「……あ」
女性はもったりした動きで手のひらを持ち上げると、緩慢な動作で拍手しました。大きく両手を離して、パチン。パチ、パチ、パチ。
ですが私は知っていました。それが所謂裏拍手、死者が生者を呼び寄せる為に行うものだと。好奇心旺盛にオカルト本やホラー動画に手を出していたのが、ここで仇となりました。
女性は細々とした指の甲を勢いよくぶつけあって、パチパチと音を立てているのです。
唖然として「何かやばいんじゃないか」と思い始めた時、背後でKが言いました。
「今日、お父さん連れてかれちゃうのかな」
途端。
女性が襖を手の甲で叩きました。
音はしません。しかし女性は何度か叩きつけるように腕を振り下ろして、また上げてを繰り返し……無音の中で行われる異常行動は、意味もなく映像を繰り返しているようで、とにかく不気味でした。
逃げなくては。
そう思って、今度は私がKを無理やり引っ張って家の外まで走りました。多分、女性がこちらに気づいた気配はありませんでした。運が良かったのか、あるいは私達に気づく気もなかったのでしょう。
梅の枝の影に隠れるよう身を潜め、Kに「どういうことか」と問い詰めると、Kはむしろ私に困惑しているかのような表情で言うのです。
「だってお母さんが、アレなぁにって聞いたら、落語だって……」
ゾッとしました。
Kは皆あの女性が見えていると思い込み、どうやら母親が「父親の朗読」を指した言葉を「女性」のことだと勘違いしたようだ、とすぐ分かりました。だってあの女性は、例え幽霊の類でないにしろ、どう考えたって普通の人ではないのですから。
Kの父親は、私が卒業するまで生きていました。その後は知りません。
私はKとは違う中学校に入り、Kの家付近にも寄らないようにしていたからです。
あの女性は何者か今でも分かりませんし、思い出すとゾッとします。
しかし、私にとっては、あの女性を日常のように受け入れ、そして無邪気に「お父さん死んじゃうのかな」と言い放ったあの子が、今でも一番恐ろしくて堪らないのです。

























よくわからないな
芸事に打ち込むあまり「何か」を引き寄せることがあるかもしれませんね
これ自体がひとつ怪談落語になりそうです