私の旧い友人に、横浜でレコード屋を営むNさんという人物がいます。
もともとは演奏する側でしたが、個人でも何百枚とレコードを集めていて、「俺の一日は針を落とす音に始まり、リフターに戻す音に終わる」といってはばからない人です。
お店にはアルバイトも置いてはいますが、必ず全てのレコードを彼自身で一度聴いてから店頭に並べるようにしていました。商品の検品というより、まず彼が一度聴いて味わいたいというのが本音のようです。
彼とお酒を交わすときは、いつもレコードへの彼の想いを聞かせてくれます。
しかし、先日実に奇妙なレコードがあったそうで、めずらしくお酒の誘いではない連絡を取ってきました。
ある日、彼は遠方のイベントに参加するため、日中はお店をアルバイトの女学生に任せていました。彼がお店に戻るなり、彼女が声をかけてきました。
「ついさっき、すごく変わったレコードを売りに来たお客さんがいて……値がつくかもわからないけど、一応店長に見てもらいたくて引き取りました」
彼はさっと店の前に目をやると、長身の人物が去っていくのが見えました。その人は季節違いの白くて長いコートを着ていました。
振り返ると、彼女はレコードを彼に差し出します。
「これです、レコードってこんな重さでしたっけ?」
それは見たこともない白いレコードでした。
通常の黒色でなく、オシャレな色付きとも違う。白と肌色と中間で、濁っているか半透明なのか見分けがつかない。レコード独特の光沢もなく、ずっしりと重い。Nさんが顔を近づけて細かく検分すると、獣めいた嫌な匂いもしましたし、淵の部分にはレコードを成形したときの削りカスやバリがついています。何百枚とレコードを見てきたNさんも怪訝に思いましたが、同時に未知のレコードへの興奮も湧いてきます。
「で、聴いてみたの? あとジャケットは? インナースリーブ(レコードを直接入れるビニール)だけ?」
「ジャケットはなくて、スリーブもうちで用意したものです。お客さんはレコードをむき出しのまま持ち込んでこられて。中身ですが、ジャズになるのかな? 女性ヴォーカルと乱暴なドラムとベース。相当古い録音ですよ」
「ふーん、ありがとう。あとで聴いてみるよ」
そうこうするうちにもう閉店の時刻を過ぎていたので、看板をCLOSEに変えて、彼は早速その白いレコードの試聴に取り掛かろうとしました。しかし、彼女があとをついてきて話しかけてきます。思えば、ずっとNさんの様子を伺っていたようでした。
「あの、店長……」
「なに?」
「私、実はあのレコード少ししか聴いてないんです。なんだか気持ち悪くって……」
「……」
「レア物だからって、最後までしっかり聴かない方がいいと思います。このレコード、なんか怖い」
普段仕事のことで彼に意見をしない子だったので、Nさんはちょっと驚きました。
「あと、レコードって、記録するものじゃないですが。そういうのって霊的なものも閉じ込めやすいと思うんです」
「俺はそういうの信じないからなあ……」
そう言って、Nさんはプレーヤーにセットして針を落としました。
前奏もなくいきなり女性の歌声が店内に響きわたります。ドラムにベースは前衛的にしてもひどいもので、音楽というよりほとんど雑音でした。
「これは売り主さんが若い頃に趣味でどうにかこうにか作ったレコードじゃないかな、とても流通させられるものじゃないかもね……」。
そう話しかけると、彼女は目を見開いて震えながら店の外を見ています。
「店長……」
店の入り口の方はガラス張りになっていて、そこに何人かの人影が見えました。
とても読みやすい文章でした。それだけでも高評価。
レコードの再生速度で内容が変わるという発想は素人目線では面白く、最後のオチも秀逸だったように思います。好きです。