父の時計
投稿者:朝鶴 (4)
短編
2022/08/05
11:42
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ああ、俺だけど。突然、僕の携帯にそう言って電話をかけてきた父。その電話口の声に、僕は本当にびっくりした。とにかく、元気だ。
父はもう長い事、老人ホームに入所していて、最近ではすっかり老衰しきっていた。
僕がたまに会いに行っても(その頃はまだコロナ前)、寝ているか、起きてはいてもほとんど意識がハッキリとしない状態。
それが突然、電話をして来て、僕に元気な声を聞かせた。あのな、俺の時計な、止まりそうなんでオーバーホール、しといてくれないか?父が僕にそう言った。
その父の時計とはロレックスの事で、父の大のお気に入り。お風呂に入る時以外は、肌身離さず着けていた物だった。
父のその言葉に、何を突然・・・と思ったけれど、僕は素直に「ああ、いいよ」とだけ答えて電話を切った。
それからすぐに実家の母の携帯に電話をかけた。父から頼まれたロレックスのオーバーホールの事を伝えようと思った。
ああ、ちょうど良かった・・・。電話が繋がるなり、母が開口一番、そう言った。
あのね、お父さんね。今、息を引き取ったから。母のその言葉に僕は言葉を失った。それからすぐに僕は父が待つ、老人ホームに車を飛ばした。
すると父はベッドの上に横たわっていたんだが、その表情はすごく穏やかなものだった。
そして父の左手にはロレックスの腕時計が着いていた。
僕が見ると、ロレックスの時計の針は止まっていて、後から知ったのだけれど、その時刻はまさに父が亡くなった時を指していた。
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