ひだる神の峠
投稿者:雨女 (4)
私は峠のドライブインで働いています。ドライブインといってもたいしたことはなく、喫茶店に毛が生えた程度の規模です。経営しているのは元走り屋の中年マスターでした。
都会に出るため早くお金を貯めたかった私は、ドライブインでウェイトレスのアルバイトをしながら、峠にやってくるバイカーや旅行者の接客をしていました。
ちなみにこの峠は事故が多く有名です。エグいカーブが連続するので、ガードレールを突き破って崖下に落ちる車やバイクが絶えないのだそうです。
そんな危ない道でレースをする走り屋たちも全くどうかと思うのですが……。
ある時お店のテーブルを拭いているとカランカランとベルが鳴り、見慣れないお客さんが来店しました。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
「どうも」
珍しいと思ったのは、そのお客さんが高齢のおじいさんだったからです。ご夫婦で観光に来られる方はたまにいらっしゃいますが、一人でやってくるのはレアでした。
当時はたまたま他にお客様がおらずマスターも奥に引っ込んでいたので、私が対応することになりました。一応簡単な料理なら作れます。
お客さんはオムライスを注文しました。一口一口丁寧に咀嚼する姿をぼんやり見守っていたら、ふいに声をかけられました。
「お嬢さんはここで働いて長いのかい」
「え?はい、半年ほどでしょうか。それが何か」
「バイクできてるのかい?」
「いえ、免許をとったので車で……」
質問の意図が読めず曖昧に返した所、お爺さんは口に運ぶ匙を止め、真剣な眼光で断言しました。
「上から三番目のカーブわかるかい?」
「はい」
「そこにさしかかった時に妙な声を聞いても、絶対止まっちゃいけないよ」
お爺さんが言っているカーブはすぐ思い当たりました。峠道の中で一番の難所と走り屋たちが恐れているポイントです。わけがわからないまま、お客さんの機嫌を損ねたい一心で頷きました。
「わかりました、肝に銘じておきます」
「いいかい、一回だからね」
「はい?」
「魔物は一回しか呼ばん。二回繰り返さん」
ちょっとボケているのだろうかと怪しみ出したのが伝わったのか、お爺さんは「ごちそうさま。おいしかったよ」と告げ、さっさと帰ってしまいました。
私がお爺さんの警告の意味を思い知るのは一か月後です。その夜仕事を終えて車を運転していた私は、ちょうど上から三番目のカーブにさしかかりました。
正直な話、お爺さんの存在はすっかり忘れていました。
ハンドルを握って夜道を走行中、だしぬけにぞくりと悪寒が駆け抜けました。ブレーキを踏んだのは脊髄反射です、窓の外を何かが横切った気がしたのです。
鹿か猪か、あるいはタヌキでも出たのかとウインドウを引き下げた瞬間……。
「おい」
誰かが呼びました。
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