山にいる
投稿者:藤野 (11)
今夜は不気味なほど静かだ。風が吹いていないからなのか、木の葉が揺れる音すらしない。虫の鳴き声も聞こえない。
俺は車に入れておいたCDで音楽をかけた。大好きなアイドルの曲だ。
ハンドルを切って、山肌にそって大きく右に曲がる。……ふと前を見ると、道路の左側に誰かがいた。
その人物はこちらに手を振っているようだ。だんだん車がその地点に近づいていく。よく見ると、その人物は男だった。こんな夜に山中でなにをやっているんだ?
俺はスピードを落とし、その男の前で車を止めた。そして窓を半分だけ開ける。念のため、用心だ。
男が目玉をきょろきょろさせながら喋り出す。
「あ、あっ、あた、し……道、まよて……。ぐるま、のぜ……ださ、あ」
はっ……?
一瞬、思考が停止する。
なんだこいつ。言い方も表情も、身振り手振りもあべこべだ。
よく見たら、服も女物らしき物と男物らしき物が入り混じっている。
「あ、あのう、どうされました?」
俺がそう言った瞬間、そいつはにたりと嫌な笑みを浮かべた。そして嬉しそうに両手を上げる。片手には、鋭く光る物が握られていた。
……ナイフだ!
窓を閉める、すぐに車を走らせる。ヤバイヤバイヤバイ、何だあれ何だあれ!
い、悪戯か何かか……?
そう思ってサイドミラーを見る。追ってきてはいないな。一安心だ。
俺は残りの緩やかな蛇行した道を走り、今度は左に大きく曲がった。
そして目を疑った。俺は正気だろうか。嫌な汗がぶわっと噴き出てくる。
なんでいるんだよ……。
さっきと同じように人が立っている。俺は車だから、先回りなんてできないはずだ。なんでだよ、なんでだよ!
どうすればいい? 俺は自分に問いかける。
か、簡単だ……。止まらなきゃいいじゃないか。
そろそろ横を通る。俺ははち切れそうにうるさい心臓を感じながら、ちらっと横目でそれを見た。
綺麗な身なりをした二十代くらいの男性だ。ただし手を後ろにして、何か隠しているような格好をしている。
悪寒がした。さっきとはまるで違う見た目だ。いや、同一人物かは分からない。
俺はそのまま男の前を通り過ぎる。その時間はほんの数秒のはずだが、何分もあるように感じられた。
そうして、しばらく車を走らせた。
また道が大きく曲がっている……。
せっかく通り過ぎたのに、また曲がらなければいけない。もしまたあれがいたら? 今までのとは比べ物にならないくらい怖いことが起きたら?
俺は曲の音量を耳が痛くなるほど大きくした。覚悟を決めて、また曲がる。
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