仕事上でお付き合いのあったKさんから聞いたお話です。
Kさんがかわいがっていた会社の後輩でOさんという方が、まだ独身なのですが、オフィスから数駅のところに一軒家を借りて暮らし始めました。
オフィス街から数駅の好立地、さらに一軒家ということで、普通ならまだ20代前半のOさんの手の届くような物件ではないのですが、それがいわゆる事故物件というもので破格の賃料だったそうです。
Oさんは幽霊などは信じないたちで、安くて広い家に住むことができたと能天気に喜んでいました。
Oさんがその一軒家に引っ越してから、KさんはOさんに「どうだ、事故物件の住み心地は」などと冗談交じりに聞いてみたりしたのですが、Oさんは「広々して住みやすいですよ」とのこと。ただ、一点だけ気になることがあり、夜中静かになると、か細いけれども甲高い、ィーーーーーというような、いわゆるモスキート音がして妙に気になるとのこと。まあ、冷蔵庫か何かしらの家電の動作音だろうと思い、大して気には留めていなかったようです。
そんなある日のこと、Kさんは少し遠方の取引先と、Oさんと一緒に打ち合わせをする予定があったため、朝からOさんと待ち合わせをしていました。しかし、待ち合わせ場所に現れたOさんの様子が普通ではない。顔が青ざめ、髪はぼさぼさ、言葉少なでいつもの活発なOさんの様子とは程遠い。Kさんが、どうしたんだ、と尋ねても、「いや、ちょっと」と口ごもってしまう。仕事中はいつもと変わらない様子だったが、帰りの電車ではやはり言葉少なで明らかに元気がない。心配に思って、どうしたんだ、言いにくいことかもしれないが力になるから話してみろ、というと、Oさんはぽつぽつと語り始めました。
昨晩就寝時のこと、いつものモスキート音が、その日はやけに気になる。いや、勘違いだろうけれど日に日にモスキート音が大きくなっているような気もする。なんとなく気にはなりながらも、翌朝は早いからと無理やり目を閉じていると、いつの間にか眠りに落ちていた。そしてふと目が覚めると、違和感がある。モスキート音が明らかにいつもより大きい。というか近くに聞こえる。そして夏の蒸し暑い時期のはずがひどく肌寒い。
はだけていたタオルケットをかけなおそうと目を開けると、未明の薄暗い部屋の中、Oさんの枕元に女が立っていた。猫背気味にOさんの顔を見下ろしている。
女の顔は長く垂れた前髪に隠されていたが、Oさんの顔を覗き込むようにゆっくりとかがみこんでくると、その表情があらわになった。
目が大きく見開かれ吊り上がり、真っ赤に充血している。歯をむき出し、顔全体が怒りにゆがんでいる。そしてその怒りの表情に反して全く生気が感じられない。肌は青白く、まるで怒りの感情が極限に達した瞬間に時間が止まったかのように、ピクリとも表情が動かない。そしてその喉の奥からは甲高い「イイイイイイイィィィィーーーーー」と言う声が間近からOさんの耳をつく。
恐怖に身じろぎもできないOさんの左腕を女がつかむと、濡れたように冷たい。そしてもう一方の手をOさんの喉元へ伸ばしてくる。Oさんは、女の「イイイィィィーーー」と言う声を浴びながら、怒りの極限では人は喉からこのような音を発するのか、と場違いなことを考えていた。女がOさんの首をつかむその手の冷たさを感じた瞬間、「ピピピピピピピ…」と大きな音が鳴り響き、Oさんが夢から覚めたように我に返ると、女は消えていた。いつもより早い時間に仕掛けていた目覚ましのアラームが響いている。恐怖に震えながらも、夢だったのか?と思ったが、女につかまれた左腕に黒く残ったあざと、冷たい感触がそれを否定していた。
気が動転しながらもなんとか仕事には出てきたが、もうあの家には戻れない、とのことだった。
Kさんは普段は元気なOさんのあまりにもの怯え様に、もうその家は引き払うように言い、引っ越しするまでの間、しばらくOさんを自分の部屋に住まわせてやることにしました。そして、その日は例の家まで、最低限の私物を取りに戻るOさんについて行ってやりました。Kさんがその家を見た印象は、こじんまりとしながらもきれいで、特に変わったところはなかったのですが、Oさんはおびえた様子で最小限の衣類だけカバンに詰め込むと、逃げるように家を後にしました。
その後数日間、KさんはOさんを自宅のアパートに住まわしていたのですが、Oさんは元気のないままで、そして、OさんがKさん宅で過ごした最後の夜、Oさんがポツリと漏らした、「まだ聞こえるんです、あのィーーーーて声が。付いてきちゃったのかな…」という言葉が、Kさんの心にずっと引っかかっているそうです。
そして、その週末にOさんは実家に帰り、そのまま会社も辞めてしまって今では音信不通とのことでした。
Kさんがその後、例の事故物件について調べたところ、両親と息子の3人で暮らしていた一軒家に未明に押し入った強盗により一家は惨殺され、まだ犯人は捕まっていない、とのことです。とすると、Oさんが見たのは犯人に対する怒りに狂った母親の霊だったのでしょうか。
Kさんが私にこの話をしてくれた後、Kさんは私に「それから私も、モスキート音が妙に気になるようになってしまって」と。「だから、私、この話を広めてるんです。ほら、霊ってその話を聞いた人について行くっていうじゃないですか。」「この話が犯人に伝わったら、やっと霊が成仏してくれるんじゃないかって思うんです。」とのことでした。
























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