久しぶりの投稿になって申し訳ない。というのも最近暑くなってきて体調を壊していたのだ。いわゆる五月病というものだろうか。そもそも、私はメンタルの不調を来しやすい体質というのは、私の処女作である「珍しい趣味」にておじさんに自らセクハラを受けに行くようなことをしているところで、わかっていただけるだろう。
実際私は、4回ほど終わりを自ら迎えようとしたことがあり、一時期は薬の過剰摂取にも悩まされていたほど、メンタルを病みやすい人間だ。去年の9月から10月は特にそれが酷く、もう今ではその遺産でさえ目も当てられないほどの強烈なトラウマになっている。
今回は、これらのことが思い出されるような恐ろしい体験をしたので、ここに書いていこうと思う。
私は、創作に行き詰まったとき勉強机の引き出しの中にある、古いノートを読んでいる。そうすることで昔の自分の思想や考え、どうしてその設定を思いついたのか?等が思い返され、次の創作をするにあたってとても大切になるからだ。それに、絵を見ていると昔は下まつげは三角みたいな描き方だったけど今は〜とか、絵を改善するいい手段にもなる。
したがって、私はメンタルが不調だった時の創作は、それが思い返されるため保管せずに破り捨てている。私にとって、みるだけでも恐ろしいものだった。というのも、その時に作ったキャラは、設定を覚えていたとしてその設定がとてもすっからかんで、つまらなくて全く見るに堪えないものだからだ。
友人と、小学生の頃の創作はどんなことしてた?という会話になったとき、私は確かにどんな創作をしていただろうかと、胸が高鳴った。
すぐさま勉強机の引き出しを引いて見てみたが、小学生の頃のノートは見つからない。思い返してみれば、私は小学生の頃、小さなキャンパスノートに絵を描いていた気がする。キャンパスノートがしまわれているのはベッドの下の引き出しだ。私は、ベッドの引き出しを勢いよく開けた。そこには、キャンパスノートとお絵かき帳という見知らぬノートが入っていた。
キャンパスノートを開くとそのキャンパスノートは真っ白で、そう言えば中学生の頃にハマっていて大量に買っていたことを思い出した。それに、小学生の頃に使っていたやつは、もっと大きなサイズだ。がっかりした。
しかし、まだ私にはお絵かき帳という見知らぬノートが残っていた。このノートはきっと小学2年生だとか、それぐらいに描いていた絵があるに違いない!そう思ってノートを開く。そんな期待とは裏腹に、そこに描いてあったのは普通に文字列が並んでるメモだった。とてもとてもがっかりした。他に何かないか…とページをめくると、急に小学生の絵みたいな物が出てきて、私は感動して涙が出そうになった。きっと私が中途半端に絵を描いたから、それを親がメモとして使っていたけど、私のベッドの下に戻した…ということだろう。
友人にそれを送って共有しようと思ったとき、あることに気がついた。下まつ毛が下まぶたとつながって描かれているのだ。私の昔の絵は下まつげが三角みたいな形で描かれていて、今の私は下まつげと下まぶたをつなげて描く。どうも様子がおかしい、つまりこれは三角より前に今の方法を見つけていたということだろうか?ページを捲ってみる。すると、今私の描いているキャラクターの絵が、同じ様な絵柄で描かれているではないか。急いでメモの部分を見返してみる。するとそこには日付と日記のようなものが書かれていた。
9月✕日
ごめんなさいごめんなさい許してください。愛してます。〇〇さんのことが好きでした。〇〇さんはお葬式に呼んでください。お母さんありがとう。お父さんもありがとう。親戚全員ありがとう。大好き。ごめんなさい。
読み取れたところでは、こんな感じだった。普通にきれいに見える文字だったので、メモだと思っていたが、謎にカクカクしているよくわからない文字だった。日付を確認する。
その日は私がすべてを終わらせようとした日だった。
つまり、このノートは私が終わりを迎えようとしたときに描いた、記憶にないノートということになる
私はとても恐ろしくなってノートを閉じて、明日処分されるゴミ箱に放り込んだ。記憶にないということは、最も恐ろしい心境にある時の絵ということでほぼ間違いないだろう。もしそんなものを呼んで何かを感じ取ってしまった日には、私はほんとうの終わりを迎えるかもしれない。
みなさんも、昔のものを漁るときには十分お気をつけください。それでは今回はここまでで。
























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