父が亡くなった理由
投稿者:A田 (1)
この話は今から10年以上前に、実際に私の家族の身に起きた悲しい実話です。
私の家は父、母、兄、弟の5人家族で、10年前というと私がちょうど20歳くらいの時の話になります。
お金にだらしない父と真面目で厳しい母の愛称は最悪で、幼い頃から夫婦喧嘩の絶えない家庭で育った私は、家族への愛情も薄く、どこか冷めたところのある子供だったように思います。
ギャンブル好きの父には多額の借金があり、生活費を工面するために母は毎日働きに出て、足りない分は親族や友人に頭を下げて借りるほどでした。それでも家族全員健康には恵まれていたので、病気とは無縁の生活を送ることができていたことが唯一の救いでした。
そんな家庭事情もあり、高校生の頃からアルバイトに明け暮れる日々を送っていた私は、自分の好きに使えるお金が入ることに喜びを感じ、忙しいながらも充実した日々を送っていました。お金が無くても就職をしてきちんとした人生を歩ませたいと考えてくれた母のお陰で、奨学金を借りて教材費等の必要最低限のお金は自分のアルバイト代で賄いながら、大学に入学することもできました。
大学生活にも慣れてきたある日、帰宅途中に家の近くでばったり父と遭遇しました。
「お父さん、もうすぐ死ぬかもしれない」
普段ほとんど会話を交わすことのない父の口から出たその一言に、私は愕然としました。何も返せずに固まっている私を見て、「冗談だよ」と父は笑ってその場をあとにし、その日そのまま父と顔を合わすことはありませんでした。
翌朝、昨日の出来事を母に母に話しながら「本当、笑えない冗談はやめてほしいよね」と言った私に母はこう言いました。
「お父さん、癌なんだって」
母の話によると、珍しく体調不良が続いた父は何十年振りかに病院を受診。すると骨髄の病気であることが判明したそうです。
当時父は49歳。若い人が患うのは稀な病気で、年配者の平均より進行速度はかなり早く、いきなり余命2年を宣告されたのです。風邪一つひいたことのない、健康だけが取り柄だった父に突然降りかかった病。その宣告を聞いた時、父はどんな気持ちだったのでしょうか。
そこからというもの、母は父に付き添いふたりの通院生活がはじまりました。子供への愛情が薄い父と、子供の中で唯一の異性である私は、日ごろから会話もままならない関係でしたので、病気が発覚したあともその関係は変わらず、若さゆえの行動とはいえ、父が亡くなって10年以上経った今でも、当時のことを思い出しては後悔の念に駆られ、苦しくなることが度々あります。
余命宣告から数か月、元気だった父はみるみる瘦せ細り、体の痛みに苦悩する日々が続いていました。その頃からでしょうか。ベッドの上で過ごすことが多くなった父は、見えない何かに怯え、隠れるように頭まですっぽり布団をかぶり、体を震わせながら眠るようになったのです。その時は薬の副作用で幻覚でも見ているのかなとあまり気にも留めていなかったのですが、しばらくすると父は入院することになったので、そのことはすっかり忘れていました。
当時、私たち家族は戸建ての借家に住んでおり、父が働けなくなったことから更に生活が苦しくなり、家賃を払うことが難しくなったので、引越しを検討していました。
子供たちも大きくなり、そのうち家を出るであろうと部屋数の少ないマンションを探し、父の出入りが楽なようにエントランスに近い1階の部屋を借りることができました。
父は既に入院していたので、入院中に引越しを終わらせようと家族皆で協力して引越し費用をかき集め、いよいよ数日後に引越しというところまできたそんなある日。更なる不幸が私たちを襲ったのです。
直接手渡しで支払い予定だった引越し費用を事前に準備して自宅に保管していたところ、なんと空き巣に盗まれてしまったのです。
泥棒は狙いを定めた家を数日間かけて観察し、家族構成や外出時間のルーティーンを把握した上で犯行に及ぶと聞いたことがありますが、周りの家に比べとても裕福そうには見えない我が家に狙いを定め、大金が自宅にある唯一にタイミングで、実行に移されたのです。
侵入経路は父がいつも寝ていた和室からで、窓の施錠部分のガラスを切り抜いて入られていました。普段は障子扉も閉まっており、他に荒らされた形跡も無いことから、一体いつ侵入されたのか、家族の誰も気が付かなかったのです。
引越し費用を盗まれてしまった私たちですが、少し前からこの家に違和感を感じていたことから、家族の今後を考えると何としても家を出たかったので、知人に事情を話しお金を借りて予定通り引越し当日を迎えることができ、安心しきっていました。
そして最終荷造りを完了させ、引越し業者の到着を待っている時に、一本の電話がなりました。電話の相手は父が入院している病院の主治医。「旦那様の容態が急変したので、急いで来てください!」
更には中々到着しない引越し業者からも連絡が入り、追突事故に遭ったので、到着が大幅に遅れているとのこと。
ここまで偶然が重なるといよいよこの家に原因があって、何者かが私たち家族を逃がさないようにしているのではないかと恐怖を感じずにはいられませんでした。
そこから母は病院に向かい、子供達だけで、業者の到着を待つことにしました。そして遅れる事数時間。まさに命からがらこの家を脱出することができたのです。
そして母からの電話で父の容態が回復したこともわかり、ほっとしたらどっと疲れが出てしまい、その日はたくさんの段ボールに囲まれ、眠りにつきました。
それから1週間後。父は息を引き取りました。余命宣告から僅か6か月のことでした。
葬儀を終え、父の遺骨を抱え自宅に帰りついた時、母から何かに怯えていたあの日の父の真相を聞かされました。
引越しが終わり、原状回復のためにオーナーと家の確認をしていた時、ふと和室に天井を見上げると、ちょうど父が寝ていた真上に無数の手形があったそうです。
思い返すとおかしな点はいくつかありました。夜中に階段を上り下りするような足音が聞こえたり、金縛りにあったこともあります。霊感の強い母の友人が泊りにきた時に体調が悪くなり、この家には何かいると思うと言われたことも。その手形も綺麗好きだった母が10年以上気付かなかったなんて考えられません。きっとそこに住む何かが父の死期を感じ、連れて行こうとしていたのだと思います。
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