最後まで優しかった祖父
投稿者:花綸 (1)
私の祖父は誰からも愛される人でした。
友人も多く多趣味。孫が生き甲斐だと私や妹、直接血の繋がりはない私の従兄弟たちにまで分け隔てなく優しくしてくれました。
そんな祖父が、私が大学生の時に突然亡くなりました。前日まで懇意のお寺に仏花をあげに行き、お師匠さんに褒められ、嬉しくてカラオケに行ってしまうぐらい元気だった祖父との突然の別れに感情が追いつきませんでした。
大学から実家まで新幹線と車で6時間。やっとついて、仏壇の前に横たわった祖父を見ると「あぁ、本当に死んじゃったんだ」と堰を切ったように涙が止まらなくなりました。
その時、お通夜に来てた従兄弟が「ねぇ、聞いて…」と私にこっそり話かけました。
「おじいちゃん、うちに来た」
特に怖がるわけでもなく、従兄弟は教えてくれました。
年の離れた従兄弟は部活の朝練のため、他の家族より早起きして学校へ行く準備をしていたそうです。すると突然、ピンポーンと玄関の呼び鈴の音。玄関までの道のりは砂利が敷き詰められているので必ず足音が聞こえるのです。足音なく突然鳴った呼び鈴に、最初は気のせいかと思ったそうです。でも、学校から帰ってきて私の祖父が亡くなったと聞き、あれはおじいちゃんだと確信したそうです。
従兄弟の家から学校までの道のりに、私の家はあります。従兄弟は夏休みの部活の帰り道、私の家に来ては祖父からアイスをご馳走になっていたらしく。祖父と従兄弟だけの秘密の時間だったらしいのです。
そのエピソードを従兄弟から聞いて、改めて祖父の人柄の温かさに触れ、悲しさが少し和らぎました。
最後まで祖父らしいなぁと思いました。
祖父が亡くなってから100日後、百箇日という法要がありました。90歳を超える祖父のお姉さんたちも集まり、大勢の人たちで、お経をあげたのちみんなで納骨する予定でした。
しかしその法要は行われることはありませんでした。
百箇日前日、東日本大震災が起きたのです。
私の地元は岩手県でも特に被害が大きかった地域。
家は全壊しました。
1日ずれて法要の最中に地震がきたら、恐らく多くの高齢者を抱えて、津波から逃げきることはできなかったのではないかと思います。
なんとなくですが、祖父がみんなを守ってくれたのではないかと感じてしまいます。
1日が生死を分けたと親戚一同今でも語種になっています。
どこまでも優しい祖父の不思議なエピソードでした。
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