友達はしばらく黙ったあと、私の口元を指差しました。
「口、拭けよ」
手の甲で口を拭うと、黒っぽい泥のようなものがべっとりと付いていました。
私は気持ち悪くなって、何度も口をすすぎました。
それでも、舌の奥には妙な甘さが残っていました。
バターのような、花のような。
あの家で嗅いだ甘い匂いと同じでした。
その日の夜、私は高熱を出しました。
病院で胃腸炎だと診断を受け、点滴処置をしてもらってようやく落ち着きました。
母から「あんた何食べたの?」と呆れ半分に聞かれ、恐る恐る事の顛末を喋りました。
母は最初、冗談だと思ったらしく、笑いながら聞いていました。
ところが、私があの家の特徴や、割烹着を着た女性のことを話すと、急に表情が変わりました。
「その女の人、どんな顔してた?」
「普通のおばさんだよ。優しそうな人だった」
「髪は?」
「黒くて、後ろで結んでた」
母は何も言わず、台所へ行きました。
しばらくして戻ってくると、父に電話をかけ始めました。
その日の夜、父が仕事から帰ってくるなり、私に尋ねました。
「あの家に入ったって本当か?」
私は頷きました。
父は深いため息をつき、しばらく黙っていました。
「あそこはな、昔から誰も住んでないんだ」
「でも、おばさんがいたよ」
「いや、住んでないんだ」
父の話では、あの家には昔、若い夫婦と小さな女の子が暮らしていたそうです。
夫婦は仲が良かったらしいのですが、ある冬、女の子が事故で亡くなった。
それから母親の様子がおかしくなったそうです。
亡くなった娘のために、毎日お菓子を作り、居間に花を飾り、誰もいない部屋に向かって話しかけていた。
やがて父親も家を出てしまい、母親は一人になった。
























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